心蓮心通信 ニュース

『28日間の日本滞在』 劉荔園


日本の旅は、とても楽しく過ごせました。日本人の生活状況や文化習俗を理解しただけでなく、ある程度の知識も学ぶことができました。さらに、頭を使い見聞きしたすべてのことを深く考えました。

 まずワクワクした気持ちで初めて日本の土を踏んだとき、最初に強く心を打たれたものは日本の地域環境でした。日本人の住まいは狭く、大通りも細く、家の軒先が隣の家の軒先にくっつくほど密集していますが、街全体としては整然として、その雰囲気は、一家団欒のほのぼのとした暖かさ感じさせるものでした。

以前確か私の先生が日本の民俗習慣の講義の中で、日本は個人の土地が狭く、資源も足りないので、細かいところまで気配りする心を養い、節約し、人々は助け合い、常に危機感を持っているという特徴をお話しされました。

これらの習慣や特徴は早くから日本人の日常生活に根付いているため、二週間のホームステイでは、ホストファミリーの日本のお父さんお母さんは、非常に細かいところまで気遣い、予想されるあらゆる問題を考慮してくださったお陰様で何の問題もおこりませんでした。また、私たちを一生懸命お世話をしてくださった職員の方々も、いつも残業で、しばしば徹夜をされるとかで、いろいろ努力されて大変だと感じましたが、私たちの入浴のお世話の際は、ニコニコされていました。

日本人は笑うのも好きで、礼儀も重んじます。その例としては『管理講座』の中で余世維が述べられた、日本のアフターサービスは世界一という表現はピッタリだと思いました。残念ながら、私はアフターサービスを受ける機会は有りませんでしたが、シャープ工場を見学したときに、最も驚くべき体験をしました。

私たちはバスに乗り込み、すでに車が動き出したにもかかわらず、そこの説明役のお二人はまだ笑顔で手を振って見送ってくださっていました。バスは走り出しすでに工場から大分離れていましたが、私たちが振り返ると、そのお二人はまだ手を振り深々とお辞儀をされました。実際のところお互いの顔は見えない距離だったと思います。 日本人は普通に付き合っていでも、しばしばお辞儀をします。言葉づかいも、長幼の違いで異なり、敬語も多く、使い方が決められています。礼儀を重んずることは必要ですが、多すぎても煩雑で良くありません。これでは心が狭くいじけてしまいますが、この点、中国人はさっぱりしておおらかな人が多いと思います。

一方、日本の社会は、とても安全だと感じました。これは、一度迷子になった経験から分かりました。道行く人々は、ホテルの支配人を始めコンビニの店員、警察、タクシーの運転手まで、みな親切で、忍耐強く、あれこれ努力を払い、私たちがホテルへ戻れるよう手助けしてくれました。日本では私は消えて無くなることはないし、いつでも手助けしてもらえると実感しました。

この忘れがたい28日間の半分は、学校で過ごしました。私たちの訪れた二つの高校では多くの思い出があります。

まず驚いたことは、どの生徒もみな私に「what’s your dream?」と尋ねるのです。これは私にとって全くの不意打ちでした。まさか日本で高校生たちが必ず自分の将来の夢を持ち、しかもいつもそれを考えているなんて思いもよりませんでした。この事を先生に伺ったところ、先生はごく当たり前に「これは日本の高校生の普通の話題で、将来の夢は持たなければなりませんし、そのためにしっかり勉強しなくてはならないのです」と言われました。そこで、私も自分の夢を披露します。私は橋梁の設計技師になりたいのです。祖国のために橋を建設するだけでなく、日中友好の架け橋にもなりたいです。

日本の高校生は、能力面でバランスよく発達していると思いました。放課後の課外活動は多義に渡り、レベルも高く、多くのクラブが賞を取っていました。日本の高校カリキュラムでの女子マラソンの走る距離は2km 、男子は5~6kmだそうで、これは中国の高校生からみると羨ましい限りです。

日本の教育方法は体験式学習で、学生の個性や創造性を伸ばすことに重点を置いています。高校生の学習範囲は広く、この訪問した時点での高一数学は虚数でしたが、学習内容は簡単で、基礎内容であるため私たちほど大変ではなさそうでした。日本の高校生は学習面以外の、例えば文化祭パンフレットやプレゼント製作、料理など、他の能力に優れていると思いました。日本の高校生は、自己中心で個性に富み、愛国を口にはしませんが、言動の一つ一つからまじめな熱意がしっかりと見て取れました。

中国と日本の高校生の違いは大きく、教育体制もそれぞれ短所長所を持ち合わせているので、さらに深く研究してみる価値はあると思います。

色々な方面から見て、私の28日間日本滞在は、たくさんの体験と多くの収穫をもたらし、また一つ一つの具体的な体験がまるで蜘蛛の糸のように密に私の周りを取り囲み、私の考え方に影響を与えています。今回の訪日は確かに大きな無形の財産であり、今こそ本当の意味で私の人生が開かれたと言っても過言ではないでしょう。

 

劉荔園
劉荔園
年齢:15
出身地:陜西省
日本での滞在先:福岡県

『ホームステイの感想』


飛行機から見える壮大で美しい景色を思う存分眺め終わると、今でも現実のことだったとは思えないホームステイの暮らしが、二月四日にいよいよ始まりました。

最初に出会ったのはホストファミリーでした。私のホームステイ先のお父さん、お母さん、娘さんが、みんなで空港まで私を迎えに来てくれました。最初に彼らは英語が話せないと知ってとても悲しくなりましたが、その後はすべてが何もかもうまくいきました。言葉の面では支障はありましたが、お父さんは毎日ヤフーの「翻訳」でその日のスケジュールを翻訳して私に見せてくれました。毎日完璧で申し分がありませんでした。この期間に、私は日本語の日常会話をたくさん学びましたが、言葉が通じないということは特に問題にはなりませんでした。

また、私のホストファミリーはとても細やかな気のつく人たちで、到着したばかりの最初の日にすべてを私に説明してくれました。たぶんかなり準備をしてくれたのでしょう、すべてにおいて整理されていて、週末の計画までもすべて準備されていました(スペースワールドへ行きました!)。そして「私たちはあなたのお父さんとお母さんですよ」と言ってくれました。また、娘さんの英語補修クラスに私を連れていってくれて、英語の先生と話しました。さらに中国語の話せる彼らの友人を呼んで、久しぶりの中国語で親しくおしゃべりをしました。私がアイスクリームを好きなのを知った時には、家族でデパートへ行って一緒に座って色とりどりのアイスクリームを食べて楽しみました。どうもありがとうございました。私は本当に血の通っている家族のような愛情を感じました。

当然、ホームステイのほかに、体験が多かったもう一つの場所は学校でした。

私が行った学校は西南女学院高等学校で、宗教系の学校でした。礼拝堂が特別に設けてあり、毎日賛美歌を歌っています。先生は全員が一箇所の大きな職員室で仕事をしていました。学校は山腹にあり、街の様子を見渡すことができます。私の学校では、中国と同じ数学、化学、体育などのほかに、「家庭科」(調理)や「聖書」などの授業がありました。私はさらに幸運にも台所に一度入って中国料理を作りました。体育の授業は、冬はマラソンでした。中国では女子で最も長い距離は1,000mですが、彼女たちは小手調べでも2kmありました。私も同じようにうまく走れるだろうと信じたおかげで、最後まで頑張ることができ、しかもよい成績を上げることができました!

次に、クラスメートの生活の様子ですが、次のようなことに気づきました。一つめに、彼女たちは制服を着て学校に通っています。制服は学校の徽章なのです。二つめに、彼女たちは徒歩や地下鉄またはバスに乗って通っています。自家用車で通っている人はいません(家に車が三、四台あったとしても)。三つめに、彼女たちの知識はとても幅広く豊富なのですが、中国の学生のように深く学んでいるわけではありません。彼女たちは高校二年生で微分積分を学び、高校一年生で虚数を学んでいます。このような数学の知識は、同年齢の中国の学生はかなり前に学んでいます。彼女たちの学習方法は体験理解方式です。彼女たちの放課後のクラブ活動の素晴しさにはびっくりしました。二週間でしたので、私は合唱部、バレーボール部、華道部、茶道部にしか参加できませんでした。しかも各クラブとも非常に優秀で専門的でした。私はただざっと見てまわっただけで、不慣れな日本語で盛んに「じょうず!」と誉めていました。学校へ行った最初の日に、英語のスピーチ大会が行われました。彼女たちの英語はあまり上手ではありませんでしたが、その後に行われた宣伝画の展覧会は、若い情趣に溢れていて、とても素晴しかったです! 四つめに、私のクラスメートはとても友好的で明るく、私は彼女たちから勉強を楽しみ、生活を楽しんで、ゆったりと楽観的に楽しく生活することを教えられました。私が受けた印象では、私のクラスメートは楽観的で楽しく、しかも努力をする学生です。2kmを走る強いな意志と訪問に来た友人を気遣い助けてくれる優しさを持っています。

最後に、別れの日に私は人生で最も大切な贈物――クラスメートが作ったクラスメートの記録を震える両手で受取りました。そして、駅で私はお父さんとお母さんを慰めました。あのガラスを隔てて手を振ったお別れが、ホームステイの記憶の中で最も忘れがたい宝物となるでしょう。

 
 
     

ページの先頭へ戻る