心蓮心通信 ニュース

『日本』 周阳


一ヶ月に渡る訪日プログラムがまもなく終了し、記憶の中に永久にしまわれてしまうと、突然気がつきました。ついこの間撮った写真を次から次へ見直すと、頭に残っていた映像が映しだされ、あの時のままの笑い声や歌声が静かに耳元によみがえり、次第に深い思考の渦へと引き込まれて……

日本の飛行場に到着するなり、目の前に現れたすべてのものが新鮮に感じられました。異なる言葉、食べ物、景勝地、伝統的な衣装などに、まるで鉄片が磁石に強引に引っ張られるように、私の好奇心は引きつけられました。さらに、商店や公共の場所についても同じです。例えば、人々はエスカレーターの左側右側を問わず片側だけに立ち、もう片側は急ぎの人のために空けるなど、人間関係に必要なお互いどうしの配慮など、私たちが日本人に抱いていた以前の印象とは大きく違いました。

中国と日本は共に礼儀を重んじる国ですが、しかし日本人の礼儀はさらに深く進化しているように思いました。例えば、朝起きると家族間で「お早う」と挨拶し、家を去る際にはお辞儀をするなど、人間関係における味気なさを消し去ってくれるような気がしました。私は日本での家庭・学校体験二週間ホームステイを過ごすことが出来、大変うれしく思いました。これを通して、私は日本人の生活や学習を、「自らの目でじかに見届け、自らの耳でじかに聞き取る」ことができました。

日本の学校と中国の学校とは大きく違います。毎日わずか六コマの授業、朝早い登校、夕方の下校、姿勢を正して授業を受ける必要もなく、極度な集中も要求されず、先生とはじかに話ができます。生徒は制服の着用が決められ、見たところ、非常に活気があります。 日本人の住宅は繁華街に少なく、その多くは静かな郊外にあり、一台以上の車を持つ家も少なくありません。交通は大変便利で、公共交通機関も非常に発達しています。私の場合、二週間の学校生活では電車通学を体験しました。人々は電車や地下鉄に乗る際、速い歩調で周囲に会わせて歩き、都会の早いテンポを作り出していました。

日本の家庭には、複数の子供がいるのが当たり前で、みな一緒に育ちます。兄弟姉妹がいるのはとても良いことで、私には羨ましく思えました。

まもなく中国へ戻ります。すべて過ぎ去ろうとしています。東に位置するこの国のことは、心の奥に刻みこまれ、ゆっくりと沈殿し、いつでも私の思考回路と繋がり、静かに私を見守ってくれることでしょう。ありがとうございました。お別れです。お元気で……


周阳
周阳
年齢:15
出身地:陜西省
日本での滞在先:大阪府

『長いようで短かった思い出』


新年の午前0時を告げる鐘の音とともに、わずか二週間のホームステイと留学生活にピリオドが打たれました。このピリオドは完全なものではありませんでした。というのは、機会がなかったせいで体験してみたかったのにできなかったことがあまりに多く、これらに関する思い出が脳裏から消えず、どうしても忘れることができないからです。

初めて日本人の家庭を訪れた日のことを覚えています。三階建ての小さな家で、きれいに刈り込まれた草花が、まず目に入りました。日本のお母さんがぼくのために準備してくれた部屋は暖かく、まるで自分の家の部屋のようでした。夜には、みんながぼくのために大阪で一番有名な料理を作ってくれました。ぼくは家族の一員のような感じがして、距離は感じられませんでした。

二日目の朝から、佐野高校での生活が始まりました。学校までは、家を自転車で出て電車に乗り換え、駅から歩かなければなりませんでした。こんなに複雑な通学のルートは、中国では経験したことがありません。学校に着くと、まずスリッパに履き替えなければなりません。これは毎日の習慣ですが、ぼくはなんとなく最後まで慣れない気持ちでした。クラスメートは、ぼくが外国人だからといって仲間はずれにするようなことは決してありませんでした。それどころか、男の子も女の子もみんな、周りに集まっては、片言の中国語と英語でぼくと話をしようとしてくれました。昼食の時間には、みんなと一緒にお弁当を食べ、美味しいデザートを分け合いました。別れ際には、みんながぼくと写真を撮ろうとして一人また一人と次々にやって来たので、ぼくの方がびっくりしました。その瞬間、温かい気持ちが涌いてくるのを感じました。

最後のお別れは空港でした。バスが発進する時、ぼくたちは手を振り続け、目には涙が溢れました。さようなら、お父さん、さようなら、お母さん……。


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