心蓮心通信 ニュース

『総括』 许之琦


異国の月の満ち欠けを見て、月日の移ろいを感じます。一ヶ月に渡る訪問交流プロジェクトはまもなく終了です。お話ししたいことは実際山ほどあるのですが、筆を執ると、何からお話ししたらよいかわかりません。まず幾つかに区切って簡単に総括したいとおもいます。

(一)この訪問の目的
学校や省教育庁、北京で何回も開かれた会議で、毎回この訪問の目的が提議されました。先生方はいつもこうお話されました。「あなたがたは個人を代表するのではありません。また学校でも省でもなく、中国全体を代表するのです」と。本当のところ、私の見たかぎりでは、この訪問の目的は、ほんの数文字で表せます。「交流と学習」です。私は自分が祖国を代表できたかどうかはわかりませが、ただ「交流と学習」の目的は間違いなく達成できたのではないかと思っています。

(二)日本の第一印象
北京から東京まで飛行機でわずか三時間半、もしこの朱赤のパスポートを持っていなければ、今この時点で異国に身を置いているとはとても信じられません。東京はとても近代的で、テンポの早い都会だと感じました。どの人も歩くのが速く、その早いテンポに着いて行くにはどうしたら良いか茫然としました。東京では、国会や外務省、江戸東京博物館を見学し、日本の過去と現在を理解しました。そしてしだいに、「日本人は多忙でも取り乱さない民族で、例え交通機関やレストランであろうとも、どんなに外見は気忙しそうな通行人でさえ、みな自分の仕事となると、あの冷静沈着さが身体の内から湧いて来て対処出来る」ことに気がつきました。

(三)体験留学
「体験留学」というタイトルは、東京で配られた『中期留学日程表』を参考にしました。「体験」というこのことばの使い方が、じつにピッタリです。二週間を過ごした沖縄では、実に色々な体験をしました。ホームステイ先や那覇商業高校では、自らのじかに日本人の生活に触れることができたと思います。沖縄で私がお世話になったのは、金城さんのお宅です。ユーモアのあるお父さんは金城一郎、やり手なお母さんは金城克江、綺麗な娘さんは金城美姫さんと言います。その一家に、私たち中国からの二人の高校生が加わったのです。ここでは、文化の違いや言葉の問題は有りましたが、ホストファミリーと一緒に過ごす中で、「私はお客ではなく肉親」という感覚を持ちました。日本の高校生は非常に気楽です。毎日の授業はたったの6コマで、宿題もありません。ただ教育制度に関しては、私たちはどうこう言えませんが、少なくともこの一点だけ、つまり「日本の高校生は中国の高校生に比べ感情表現が豊かで、友達付き合いしやすい」ということははっきり言えます。

(四)広島とディズニーランド
東京から沖縄へ行き、そのホームステイ先から戻った後、今度は広島へ行きました。広島では原爆ドームを見つけ出すのが大変で、いろいろ調べてようやくたどり着きました。60年前の苦しみの記憶がみんなの心に深く浸透して行きました。 東京に戻った後、次はディズニーランドへ行きました。そこでは、園内放送以外、ほとんど日本というものが感じられませんでした。東京はいろいろなものを包み込む力を持っています。


许之琦
许之琦
年齢:16
出身地:陜西省
日本での滞在先:沖縄県

『ホームステイについて』


初めて沖縄の家庭でホームステイすることになると聞いた時から、他の人からはラッキーだと言われ続けました。実際、私自身はどこにいっても同じだと思っていたのですが、時間がたってからやはり縁があったのだと思うようになりました。

(一)家族について

沖縄の那覇では、沖縄本島にずっと住んでいる家庭に行きました。家は三人家族で、頭が良くて行動力のあるお母さん、ユーモアがあって優しいお父さん、そしてとても可愛い娘さんでした。

家族はみんな中国に行ったことがありますが、中国語はできませんでした。私とのコミュニケーションは大変でしたが、私とホストファミリーとの関係には何の影響もありませんでした。ホストファミリーを見ていて一番感じたのは、とてもまじめな姿勢でした。何の気なしに言った言葉もみんなとても正確に覚えていましたし、時間に対して非常に厳しいという印象を持ちました。しかし、同時に、血のつながりを越えた肉親の情が感じられ、あたかも、遥か遠い海の向こうに家族がもう一つできたような気がしました。

(二)学校について

二月五日、那覇商業高等学校で六日間の学生生活が始まりました。日本の学生生活は非常にリラックスしたもので、毎朝九時五分から午後三時三十分までに六時間の授業があり、宿題はありませんでした。授業も、それほど難しくありませんでした。

中国と日本の教育制度の是非について、私がどうこう断言することはできませんが、一つ、はっきりと異なる点がありました。日本の学生は非常に礼儀正しいということです。学校では、全てのクラスメートが親切で友好的でした。言葉によるコミュニケーションは難しかったけれども、私が何か言うと、みんな、精一杯助けようとしてくれました。こうした親切さと友情は内心から出てくるもので、混じりけのない純粋な気持ちでした。

(三)終わりに

知らず知らずのうちに、私の日本に対する印象が変わってきました。北京にいた時と、東京にいた時、そして沖縄にいた時……。お別れの時に、亜熱帯のこの地が思い出いっぱいに感じられました。クラスメート、友達、そしてホストファミリー、ここでお別れしたら、もうこれから二度と再会できる機会はないかも知れません。こう考えたためか、私たちはいくぶん詩人の気分に浸りました。「揮一揮衣袖,作別西天的雲彩」(そっと手を振って、西の空の雲に別れを告げた)(中国現代詩の第一人者と言われる徐志摩の詩「さようならケンブリッジ」の一節を引用したもの)。さようなら!!


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