心蓮心通信 ニュース

『まとめ』 李小璐


想像もできないようなことです。1ヶ月前に日本に行けると聞いた時の感激は、まだ昨日のことのようだし、元々は頭の中で写真のように平面だった日本が、今は立体的になっていることが。

私は以前、申請書に日本のイメージは巨大な国家機関だと書きました。けれど今,いくつかの細胞で構成された虫になぞらえたいと思います。東京のラッシュアワーの地下鉄の駅で、人々がエスカレータに乗る時、どんなに混雑していても、列を作ってもっと急ぐ人に場所を空けるのを見ました。地下鉄を待つ間も、すべての人が2列に並んでいます。地下鉄がきてドアが開くと真ん中から分かれ、下りる人に道をあけます。機械のように厳格に守られている秩序と、そこに表れた協調精神と人間性に目を見張りました。私はその時、日本民族が桜を好む理由が、ほんの少しわかったような気がしました。桜の花は一輪咲いても決して注目されることはなく、ピンクの花が連なって咲く時こそが、本当に美しいのです。

にぎやかな都市を経験してから、全国各地に散らばりました。私が行った徳島はとても平和な市で、どの人も自分のライフスタイルを守って暮らしているようでした。幸い私がお世話になったのはわりあい自由な家庭で、お客様扱いされることもなく、一般的な家庭のありのままの生活を、体験することができました。2週間のホームステイの一番の感想は、彼らとその家庭がとても温かく思えたことです。そしてこれは教育の仕方などにも反映されています。ホームステイ先の睦都美ちゃんは、まだ2才なので騒がしくてわがままな上に、性格もおとなしくないので、いつも家中をひっかきまわします。けれどどんなに騒ごうと、両親のうんざりした様子を見たことがありません。いつも小声であやしていました。このようなやり方は速効性はないように見えるけれど、ここにも中日両国の教育方法の違いが表れていると思います。民族性の違いからもきているのかもしれません。

学校についても話さなければなりません。中日の文化の違いが明らかなようでした。日本の生徒は全体的に言うと、私たちよりずっと自由な感じがします。授業中もリラックスしていて、課外活動も豊富で正規のものもたくさんあります。中には中国では許可されないものさえあります。これには少し驚かされました。話した人、クラスメート、いえ、今は友だちですが、みんな親切で、おっくうがらずに私を世話し、代わりに紹介や説明をしてくれました。彼らとの触れ合いの仲で、得たものがたくさんあります。日本の生徒たちの勉強や考え方を知りました。もちろん遊び方も。その中でも最大の収穫はやはり彼らと知り合い、友だちになれたことで、この思い出は私の一生の宝です。

最後の数日は、歴史的・文化的なスポットを見学しました。この見学で日本はこのようなものを重視していることを再認識しました。どこも趣向が凝らされ、とても感動させられるもので、想像していたような、味気ない百科事典の1ページとはまるで違いました。たくさんの体験コーナー、リアルな模型、生き生きとした説明は、歴史への知的好奇心を刺激し、深い感銘を与えます。

そして再びもどってきた東京で、その心臓の鼓動を感じながら思います。日本は想像どおり、文明と文化、現代と伝統の関係を厳格な習慣の中で巧みに結びつけ、未来を創造していると。また大切なのはやはり文化の教育だと心から思います。五千年の文化を担う私たちが、探求しなければならない文化の道のりは、もっと苦難に満ちたものに違いありません。


 
李小璐
李小璐
年齢:15
出身地:湖南省
日本での滞在先:徳島県

『徳島での二週間』


時間が過ぎるのは、本当に早いものです。二週間は長くもありませんが、短くもありませんでした。諺に「時は過ぎるもの、お金で買うことはできない(からこそ大切にしなければならない)」とあるように、この二週間、私は時の商人との取引で、決して負けていないと思います。

徳島で最初に直面し、なじまなければならなかったのはホームステイ先での生活でした。私の感想としては、家族は皆私に対して自然で、全くお客様扱いはされなかったと思います。そのため、儀礼的なところはありませんでした。その他の習慣についてはほとんど問題なかったのですが、一つどうしても慣れなかったのは、室内でスリッパを履かず、靴下だけで生活したことです。あとは、納豆がだめでした。生活面では特に問題はありませんでしたが、生活についての考え方や教育理念などの分野では、中国と異なる点が多くありました。これらは、いわゆる文化や文明の違いというものでしょう。

次に直面したのは、学校でした。日本の学校は中国の学校と比較して、リラックスしているように見えた、と言わざるをえません。ただし、英語と数学の授業以外はほとんど聞き取れませんでしたが。それでもクラスメートはとても親切で、授業の間も、授業以外でも、日本語が分からない場面で、できるだけ英語に訳して話してくれました。先生も私に対して、いろいろと心配りをしてくれました。それら一つ一つに、とても感動しました。最後の日に学校から帰るときには、クラスメートも私もどちらも立ち去りがたく、かなり長い間とどまって、お互いに相手に対して先に行かせようとしました。

日本の学校が女の子の好みに合わせていると感じたのは、制服です。私たちの学校もいつか、あんなに厳格じゃなくて、制服も変わってくれれば、と恨めしく思ってしまいそうになりました。

全体を通して言えるのは、徳島にいる間に起こったことはあまりに多く、私はとても多くのことを理解し、いろいろと考えた、ということです。文化についても、また文明についてもそうで、こうしたことは私にとってプラスになったと信じています。私は、伝えたいと思っています。ありのままのこうした思い出を、私の家族に、友人に、先生に……。そして、もっと多くの、より多くの人々にも伝えたいです。

 
 
 
     

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