心蓮心通信 ニュース

『私の日本日記』 陳利揚


桜の花も見ていないのに、私たちはもうすぐ帰国します。28日間、私は感動のしっぱなしでした。16才の私たちは幼すぎるし、私たちの国は若すぎます。日本の優れた所を学ぶのが主な目的だったので、私が感心したことを書こうと思います。

日本の「自動化」について―どんなに細かい点にも感じました。トイレや通りは必要な時だけライトがすぐつくので、目の前がぱっと明るくなる感覚がとてもいいです。どの店も自動ドアで、しかも過敏な反応をしないタッチ式のものです。自動便座、自動発券改札機、自動駐車料金精算機、あらゆる物の自動販売機など。「自動化」で、生活は便利で楽しくなります

日本の知識の継承について―どんなに小さくありふれた地区にも、各種の文化会館、寺院、神社があります。歴史文化を大事に保存し、修理や改築もしょっちゅう行われます。日本人のマナーについてー中国人は、遅い物を軽んじます。日本の通りでは、車が通行人の行く手をさえぎったりしません。自転車も同様で、いつも通行人を先に行かせます。どの店でも、自分が神様のように尊重されていると感じられます。どんなことでも人に迷惑をかけたら、彼らはお辞儀をして「すみません」と言います。

日本人の思いやりについてー人のためにすることを惜しみません。一度とても遅くなり、ホテルへの道が分からなくなった時のことです。通りすがりの人に道を聞くと、その人はホテルの封筒に書いてある電話番号を見ると、すぐ携帯電話を取り出し電話をかけてくれました。その時私たちは暖かい気持ちになりました。

日本の人たちの友情についてー彼らは私の友だちであり家族です。一ヶ月の間、たくさんの日本人、若い学生、高齢のおばさんに接しました。彼らと触れ合おしゃべりをし、勉強や生活をしました。私たちを阻むものは何もなく、私はここのクラスメートや家族が好きです。私を客や仕事としてではなく、心からもてなしてくれました。日本にも両親、クラスメート、先生、家ができました。別れの時には、ずっと涙を我慢していました。そして自分に言い聞かせました。これはちょっと別れるだけで、必ずまた会えるのだと。

交流している間に、日本人の中国についての知識は、実はとても少ないことに気づきました。中国人の家庭は車がありますかとか、中国の学生は携帯電話を持っていますかなどと、たびたび聞かれました。そのようなことを聞かれると、本当に嫌な気分になります。どのように説明したら、またどのようにやると、現在の発展し続ける中国をわかってもられるのでしょうか。

私は出来る限りの努力をしています。私たちを通じて、新しい中国を日本の友だちに理解してもらいたいと思います。中国人が日本の多くの人たちの友情を感じ、日本の先進的なところを学ぶことを願っています。

これから更に多くの人が中日両国の友好を深める道を歩みますように。きっとそうなると信じています。

中日両国の政府、学校、家庭に感謝します。またこの充実した1ヶ月を下さったみなさん、ありがとうございました。


陳利揚
陳利揚
年齢:15
出身地:天津市
日本での滞在先:大阪府

『日本での日々』


日本にきてもう三週間になります。この三週間は、毎分毎秒が私にとってとても貴重な時間でした。

私は日本に来るのはこれが二度目で、二年ぶりでした。あらゆることから、日本の変化が感じられました。全く新しい視点から、この見知らぬ隣国、そして友好国である日本について理解しよう、という思いでいっぱいでした。

隣国というだけあって本当にさまざまな点で関係があり、中国と日本との間には似ているところがたくさんあります。文化、文字、人文、環境など……。外国人である私でさえ、時々、自分はかつてここに住んでいたではないかと感じられることがありました。

友好国と言ったのは、お世辞や表面だけのきれいごとで言っているのではありません。どうか、中国の学生が三週間という短い時間の中で感じた日本人に対する思いに、ちょっと耳を傾けてください。

日本で過ごした時間の中でもっとも印象に残ったのは、やはり二週間におよぶ徳島での短期留学でした。初めて徳島に着いた時、私はちょっとがっかりしました。そこは「いなか」で、山や水はありましたが、高層ビルからは遠く離れていて、交通も不便な田舎でした。私が留学した徳島市立高校は四十三年の歴史のある学校で、校舎は古ぼけていました。これは、私がまだこれから出会う人々と接する前に抱いた、ビジュアルな面からの印象にすぎません。

お父さんに連れられて家の門をくぐった時になってやっと、自分の幼稚さに気づきました。ホストファミリーはとてもお金持ちで、家も清潔で綺麗で、私は驚きに目を見張りました。

 お茶や食事の後にあれこれ雑談する中で、ホストファミリーのような状況は、徳島ではごく普通だとわかりました。交通が不便なので、大抵どの家にも車が三、四台あるようで、「車がないと、私達はほんとに不便なのよ」と言っていました。この時、私はお互いの格差に気づきました。同じように田舎でも、中国と日本では生活レベルに大きな格差があり、比較になりません。

私が生活したのは和室で、隣の小さな部屋にはおじいさんの仏壇がありました。毎日、外出時と帰宅時には仏前で鈴(りん)を鳴らします。先祖が家族を守っている、という意味のようです。

学校からホストファミリーの家までの距離はかなり離れていました。最初に十分くらい車に乗り、それから二十分ほど電車に乗って、その後自転車で三十分ほどかかります。毎日こうやって通学しました。交通の不便な、田舎ゆえのことでしょう。道路も、坂道や曲がり道が多かったです。

私が入ったクラスは209HRで、特別クラスのようでした。先生の話では、このクラスからは毎年、多くの学生が東京大学などの有名大学に合格するということでした。その話を聞いて、私はすごいなと思いました。けれども、クラスの皆は、頭が良いからといってそれを鼻にかけるようなことはありませんでした。皆、とても可愛くて、授業が終わる度に私の周りに集まってきては、あれこれと雑談をしました。皆とても親切で、朝は一緒に電車に乗り、お昼は一緒にお弁当を食べました。放課後には一緒に街をぶらぶらしたり、写真を撮ったりしました。彼らの家にもしばしば招待されました。

帰宅すると、お母さんが毎晩美味しい料理をたくさん作ってくれました。二週間の間、同じものを二回食べることはありませんでした。家族は本当に親切で、言葉では言い表せないほどでした。中国の家でも、こんなに可愛がられたことはない、と言えるほどです。家族の皆にどうやって感謝の気持ちを伝えたら良いのかわかりません。そのため、是非皆を招待して、私の家に遊びに来て欲しいと心から願っています。

日本にお父さんとお母さんや家族、友人ができたことは、私にとって本当に幸せなことです。二週間は長く、素晴らしい記憶はあまりにも多すぎて、言葉でその全てを伝えることはできません。この二週間に出会った全ての人々、全ての出来事、あらゆる思い出を大切にします。

日本のホストファミリーの皆さん、友人達の幸福を祈ります。私は、彼らが大好きです。


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