My Life, My Songs
 

小さい頃から、私の生活の中で、もう歌がありました。

それは父の影響でした。

父は作曲をしていますが、自分は大好きな音楽の道に入るために、かなりの苦労があったため、娘達にはぜひ小さい時から、良い音楽の環境を与えたいという強い想いがありました。


姉は6歳からヴァイオリンを始め、私は姉のヴァイオリンを毎日聴きながら7歳から古典楽器である中国の琵琶を習いました。歌も大好きで、姉の練習曲をそのまま覚えて、いつも口ずさんでいました。よく近所の皆さんに呼ばれて、姉のヴァイオリンと共に踊りながら“毛沢東の歌”も歌っていましたね・・・(笑)


そういうこともあって、自然と歌手になっていたので、自分が音楽と歌を選んだというよりも、父に選ばせられたというほうが正しいかもしれませんね。だから、不思議なことに、将来の夢について、実は“歌手”以外の職業を一度も思ったことがなかったんです。


そしてもう一つ、小さい時から、なんとなく思っていたのは、“将来は日本に行って、日本のステージで歌うこと”でした。

そのきっかけとなったのは、子供の時中国のテレビでよく流れていた日本のドラマでした。“赤いシリーズ”、“姿三四郎”、“サインはV”などの連続ドラマを本当に毎週欠かさずに見ていましたよ。皆さんは知っているかな?

日本に来てから、日本の皆さんにその話をすると、“古いよ~”と笑われたけどね・・・(笑)

そして、日本の音楽も好きでした。よく日本にいる友達からNHKの紅白歌合戦のビデオとか、友達がチョイスした日本のポップスを集めたカセットテープなどを送ってもらっていました。毎日聴いていて、私の宝物でしたね。

そうそう、その時、志村けんのお笑いのビデオにもはまりましたよ!志村けんのお笑いって、言葉が分からなくても笑える、世界に通ずるインターナショナルなお笑いだなぁ~と思いました・・・

日本は私にとって、行った事がないけど、とても近く感じる存在でしたね。


12歳の時(当時中学生)、視聴率が90パーセント以上もあるテレビコンテストで優勝したきっかけで歌手デビューをしました。そしていきなり皆にも知られるようになりました。

あまりにも順調でしたので、年月と共に、逆に少しずつ将来に対しての不安も感じるようになりました。

“上海”、そして“何の心配もいらない両親の元”、この温室の中でこのままずっといると、10年後の“あまり成長していない自分”が何だか見えてくるような気がして・・・。

自分の力は本当にどのぐらいあるのか、手に入れたこの成功は、父のおかげだけだったのか、それともただのラッキーだけだったのか・・・

“ぜひ外の世界を自分の目で見てみたい”、“自分の力を試してみたい”、そう思って、高校卒業後日本に来ることを決心しました。


日本でのゼロからのスタートからもう15年が経ちました。

自分が選んだ道、選んだ世界を、自分の目で見ながら感じながらここまで歩んできました。

たくさんの人々と出会い、様々な経験とともに学んだこと、そして築いてきた自分の世界観と価値観・・・今、本当に手応えを感じています。


“歌が大好き”という一心でここまで歌ってきましたが、日本に来て、そして日本で歌うことによって、私は、“歌うこと”に、もう一つの意味を見つけたような気がします。

私の歌を通して、国籍や言葉と文化などの違いを越えて、人々の“心”と“気持ち”が通じ合えたり、分かち合えたり、何かのきっかけになったり、誰かの力になれたり・・・そう感じた時の喜びは本当に計り知れないものでした。

こうした“歌うことの意味”は、きっとこれからの私の人生の大きな原動力にもなると思いますね。


小さい頃から描いてきた一つ一つの夢、一つ一つの目標に向かって、これからも毎日ワクワクしながら、楽しんで行きたいと思います。


amin

巫 慧敏

■ amin (中国名:巫 慧敏)


上海生まれのシンガーソングライター。幼い頃から中国琵琶、ギターを始める。13歳で中国全土のコンテストで優勝し、本国でトップアーティストとして活躍。10年前に来日して、2003年にサントリー烏龍茶CM曲「大きな河と小さな恋」を歌い、その歌声を広く知られるように。2005年にはNHK中国語会話のテーマ曲・準レギュラーも務める。音楽活動を続けていく中で、テレビ出演や本の出版なども行い、日本や中国で大活躍しているアーティストである。


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