今年八月、日本国際交流基金の招きで、私は家族と共に十五日間にわたって日本に滞在し、東京、東京からほど近い鎌倉、北海道の札幌、小樽、定山渓、そして関西では京都、奈良、大阪を訪れました。
実に素晴らしい旅でした。二十数年前に川端康成の小説を読み始めた私は、その叙述の繊細さにひどく夢中になったものです。それ以来、他の日本の作家の作品でも、同様の繊細さに触れてきました。日本の文学作品には、細部の描写に、筆舌に尽し難い豊かな色彩と微妙な情感のうつろいがあります。日本文学独特の気質というものでしょう。
およそ二十数年間にわたって日本文学を読んできた私ですが、ようやく日本を訪れる機会に恵まれました。そして、なぜ日本文学がこのような繊細さを生み出すことができ、これほどまでに繊細かつ豊かであるのかということが、やっとわかりました。ディテールに対するこだわりの愛情こそ、日本人という民族の独特な気質なのです。私にとって、日本は麗しいディテールに満ちた国であり、私自身の日本の旅もまさに麗しいディテールに満ちた旅でした。
鎌倉では、川端康成のお墓を訪れました。いったいどれだけたくさんの人がこの地で永遠の眠りについているのかわからないほどの、とても大きな霊園です。激しく照りつける太陽の下、静かな道路に沿ってぐるぐると山を登ってゆくと霊園の一番高いところにたどり着き、川端家の墓の前に立ったとき、私は密かなディテールに目をとめました。周囲にあるすべての墓碑のそばにある、石材で作られた名刺を入れるための箱です。生きている人が亡くなった人を訪れるときに、名刺を一枚手渡すということなのでしょう。このような麗しいディテールによって、生と死はたちまち親密なものになります。あるいは、名刺箱の存在は、生者と死者が交流を続けてゆくためのリアルな根拠であると言うべきでしょうか。晴れた空の下、あたりを見渡すと、きらきらと光り輝く無数の墓碑がずらりと並んでいます。その瞬間、霊園はまるで広場になり、そびえ立つ墓碑が、生きているひとりひとりの人間のように感じられました。あるいは、もはや完成したそれぞれの人生が、音もなく語りかけているようなものであるというべきかもしれません。彼らを見つめながら、私と彼らの生活は実際には同じ空間にあって、ただ違う時間を経てきたにすぎないと心の中で思いました。
京都の清水寺の威勢のいい舞台は、山のふもとから、太く頑丈なクモの巣のように張り巡らされた木の柱に支えられ、エネルギーが満ちあふれています。高い舞台は仏像の前に、本堂から張り出すように広がっています。お坊さんたちが観るときには、断崖絶壁を隔て、鳥たちが飛び交う向こう側に立つのでしょう。私もこれまでたくさんのお寺を訪れ、仏前にたっぷりと食べ物が供えられている光景は当たり前のように見てきましたが、仏様に歌や踊りを鑑賞していただき、精神的な「食料」を楽しんでいただくのを見たのは初めてです。
京都の夜も、実に忘れがたい夜でした。十数軒ものお寺がずらりと並ぶ、くねくねと曲がって入り組んだ起伏のある小道。両側に立ち並ぶ店先に並べられた商品は、すばらしく美しいものばかりでした。そしてそれ以上に、入り口に提げられている提灯が、目も心も楽しませてくれました。足元の階段の石畳までもが一尺ごとに変化し、精巧な彫刻や細工が施された工芸品の中を歩いているような気分になったものです。
夜の高台寺を、住職の寺前浄因さんが案内してくれました。精巧で美しい建築と庭園が、ハイテクのライトアップに映えるお寺です。鏡のごとく静まり返った池のそばに、私たちは長い間たたずんでいました。また、枯山水に映えるコンピューター制御による影像が、くるくるとめまぐるしく変化するのを見たときには、ぞっとするような美しさに感嘆せずにはいられませんでした。
それから住職は、さらにぞっとするような別の美しさも見せてくれました。竹林の前で眺めたのは、揺らめく竹の上を軽やかに舞うCGです。鬼の舞いでした。美しさが恐れをまき散らすとき、人はその美しさに、息もできなくなるものです。
私たちは、ひとつまたひとつとお寺の間を静かに歩いて行きました。川端康成の『古都』にも描かれているような大きな鳥居を過ぎると、やがてざわざわと騒々しい京都の夜の世界が見えてきました。私たちの傍にあるその鳥居はまるで、ひっそりとした寺院の世界とにぎやかな世俗世界の分水嶺のようでした。私たちは寺院の静かな世界に立ち、通りの向こうの途切れることのない人と川の流れ、ネオンのきらめき、ざわめきの音、そして食べ物の匂いまでがただよってくるのを、天上から人間たちを見下ろすかのように眺めていました。
やがて寺前住職が、観光客にはなかなか見つけにくい石塀小路に連れて行ってくれました。京都の人々の生活の精髄の中を歩いたのです。石塀小路はひっそりと静まり返って他に人はなく、私たちだけでした。声をひそめて、両側に並ぶ家屋の精巧な美しさの変化、門や窓の変化、入り口の前に掲げられている提灯の変化を楽しみました。中から漏れてくる明かりも絶えず変化し、念入りに着飾った一軒一軒の家が、それぞれ雷同することがないのです。十三歳の私の息子が、感慨深げにつぶやいていました。「ここは人間界じゃないね。天国だ」
日本から戻ってからずっと、『日本のディテールを旅行する』と題した長い散文を書こうと考えていました。東京の森のことから書き始めるつもりです。東京は摩天楼の都市ですが、空き地があれば、それは森です。道路の高さによって、森は傍らにあることもあれば、足元にあることもあり、また頭の上にあることもあります。どこにあっても人々を安らかな気持ちにしてくれる森ですが、ひどく騒々しい大都市東京では、森が与えてくれる安らかさはさらに際立っています。まるですさまじい勢いの現代音楽の中に、ふいに叙情的なフレーズを耳にするようなものです。東京の騒がしさの中で生活していても、森が常に姿を現してくれることで、苛立つ気持ちもいくらか安らぎを手に入れることができます。これは都市のディテールであり、民族の遙かなる源と歴史の風格を表すものです。
この短い文章を終わらせようとしたとき、ふと札幌の夜を思い出しました。北海道大学の野沢教授が友人たちと一緒に、「新宿以北でもっともにぎやかな場所」に連れて行ってくれたときのことです。そこは札幌の飲み屋街で、聞くところによれば、五千軒あまりの店が集まっているということでした。私たちが入ったのは十平米ほどの居酒屋でした。七十近い老婦人が中に立っているカウンターに、ずらりと並んで座った私たちは、飲み、しゃべり、歌い、笑いました。店のママさんの口から出てくるのは、粋な下ネタばかり。大学教授たちが好んでここに来るのは、大学では聞けないような粋な下ネタが聞けるからなのでしょう。この「囲炉裡」という店のママさんは、若い頃「第一回ミスすすきの」に選ばれたことがあるそうで、そのミスコンテストのときの写真が壁いっぱいに貼られていました。写真の中の若く美しい「ミスすすきの」を眺めてから、もはや何もかもすっかり打ち砕かれてしまったような目の前の老婦人を見ても、ふたりが同一人物であるとはとても考えられません。
壁には、中曽根元首相が彼女に送った言葉が飾られていました。私が中曽根氏のことを口にすると、彼女は小馬鹿にしたように手を振りながら「あの子・・・」と言ったものです。やがて彼女は紙と書くものを取り出し、私にも中曽根氏のようにひとこと書くよういいました。目の前の老婦人をちらりと見て、それから思わず壁の写真の若く美しい人に目を向けてしまった私は、そのリアルな感慨を書き付けました。
囲炉裡にて 人生は夢のごとし。
2006年12月19日 |
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| 余華氏 |
| 1960年 |
中国 浙江省杭州市生まれ |
| 1983年 |
5年間の歯科業を経て、作家活動開始 |
| 1991年 |
北京師範大学魯迅文学院創作研究生班 |
著作(邦訳のあるもの)
『活きる』
『雨に呼ぶ声』
『十八歳の旅立ち』
『四月三日の事件』
『世事は煙の如し』
『名前のない男』
『アクシデント』
(以上、飯塚容/訳) |
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