1973年初夏、香港から北京に赴任することになった。その前には、台湾そして香港にいたが、中国語を学んだからにはやはり本場北京で中国語に浸ってみたい、また共産主義の国とはどういうものなのか、期待と楽しみに溢れていた。
早朝、九龍駅から汽車に乗り、羅湖で下車、国境になっている川に渡る橋。橋の手前にはイギリスの国旗、橋の向こうには中国の国旗が閃いていた。橋の下に爆弾があるかもしれないなどとまことしやかに言う人もいたから少々は恐る恐る、一歩一歩、足を踏みしめながら歩いた。橋を渡り終わるとそこはシンセン駅。当然のことながら、手前に中国の国旗、橋の向こうにイギリスの国旗、と光景が逆になった。そこでパスポートを中国の係官に預け、駅にある待合室で待たされること、何時間であったか、昼食もそこでとった。そして再び汽車に乗り、広州に。流石に広州からは国内便で北京に飛んだ。今なら香港から数時間で北京に着くのに、丸々半日掛りだった。否、広州で一泊したのだったかもしれないが、今は記憶は定かではない。逆に北京から香港に出るときは広州に一泊したことは覚えている。昨今では体験ツアーのようになっているようだが、当時は日本に帰るにもこのルート以外にはないと思うと、小さな出口が一つしかない、大きな袋の中に入っていくのだという感じがした。
※写真一枚目「1976年4月、清明節を前に故周恩来総理に手向けられた献花で埋まった天安門・烈士の碑。これが第一次天安門事件の発端となった。」
※写真二枚目「1976年9月、故毛沢東主席の葬儀に参列するために地方から集まった人々は、かなり離れたところでトラックやバスから降り天安門前広場まで歩いて行った(斉家園公寓7階から撮影)」
北京首都飛行場は、勿論現在使用のところではない。日中国交正常化時の模様がテレビで放映されるたびに田中首相が降り立った飛行場の画面が出るが、正にその場所だった。タラップを降りると石畳。そこをとことこ歩いて、石段を上がり建物の中に入って入国手続き。当時飛行機を利用する一般客などほとんどいなかったので、列を作る必要もなく、諸手続きはスムースに終了。かくして、爾後約四年に亘る第一回目の北京生活が始まった。
その四年間には、日本にいては経験できなかったであろう、いろいろな意味での予想外の日々の生活に加えて初めての出産、歴史的には朱徳、周恩来の死去、第一次天安門事件、毛沢東の死去、四人組の追放、唐山大地震などがあった。三十数年が経ち、記憶も定かでないことが多くなったが、当時の生活体験がある日本人は年々少なくなり、13億いるという中国人ですら語れる機会がある人は少ない、私の記憶も明日よりは今日のほうが確かであろうと思い、この機会にぼちぼち語っておきましょう。