心連心Essay


想い出の北京(5) === 出 産 ===

想い出の北京まだ北京飯店に住んでいた或る夜、急に激しい腹痛に襲われた。傍を誰かが歩いただけでも板張りの床から伝わってくる振動が辛抱できないほどだった。少し治まった時に、これは普通ではないと思い、救急車を呼んでもらった。外には大きな黒塗りの乗用車が来ていた。中から看護婦らしい人が出てきた。病院に着いて降りようとしたら、その看護婦がドアの開け方を知らず(?)、私が開けることになった。問診を受け、お昼ごはんは食べられなかったと言うと、すぐに点滴が始まった。一食くらいなんということもないのに―と、できれば点滴はして欲しくなかった。妊娠している可能性があることを告げた。その関係での腹痛なら一時的なことでたいしたことはない。翌朝すっかり元気になった私は帰宅したいと申し出たのだが、ダメだという。

妊娠以外の原因が考えられないなら、体調も戻ったし、よいではないかと思ったが、「目下検討中」との答えが返ってくるだけで、私は退屈な時間を過ごすことになった。三日目、異常なしということでやっと退院できた。正式には中国医学科学院・首都医院(現協和医院)といい、外国人の診療は概ねこの病院と決まっていた。  その後は、妊娠の定期検診のため通院した。夫はアメリカに転勤してしまっていたので、国元の両親は心配し、北京に来ると言ってきた。しかし、来られても、正直なところ、私が通訳までしなくてはならないのでは用事が増えるだけでたいへん。そこで「中国には10億人(当時)の人が生まれているのだし、お産は病気ではないから大丈夫」と説き伏せて、脱脂綿やオムツ、新生児用の品々を送ってもらった。


産休は56日しかなく(もちろん育児休暇制度などなかった)、産前よりは産後に十分に休養をとりたいと思っていたので、出産予定日の朝、入院支度を整えて出勤し、午後からスーツケースを片手に入院した。前に緊急入院したときの経験から、ちゃんと退屈しのぎに本と落語のテープを持っていった。電灯が暗いので、読みものだけでは間が持たないと思ったからだ。良い音楽でも聴いていたほうが胎教にはよかったかもしれないが。

例によって特別扱いで、病室は個室だったが、バス・トイレは隣室との間にあって隣人と共同使用だった。毎朝掃除に来る人以外は皆女性だったのが印象的だった。一日、二日、一週間経っても生まれる気配はなかった。暑い七月に、床にはカラカラと音を立てて回っている小さなカーキ色の扇風機が一台。なにやらやたらに頭が痒くなってきた。共同使用の浴室で洗髪するのもいやだったので、一度うちに帰りたいと申し出たが、拒否された。当然だ。途中で産気づいたら困る。しかし、このように長丁場になるとは思っていなかった私には、うちのことも些か気になってきていたし、あらたに持ち込みたいものもあったので、何のかのと言ってわがままを通させてもらった。その後も相変わらずで、病院側も気になったのか、大先生の診察ということになった。現れたのは、医師というよりは”お産婆さん”という印象の女性医師だった。その人がなんとスイカの熟れ具合をみるように、私のお腹をポンポンと叩くや、「次の金曜日」と言い放って部屋を出て行った。それが的中しようがしまいが、どうでも良かったが、その前日の夜になってから時折むやみやたらとお腹が痛くなった。


想い出の北京一般病室から分娩室近くの部屋に車椅子に載せられて移動した。これが陣痛というものか、いよいよ覚悟の時かと居直る中で、隣室から大きな悲鳴が聞こえてきた。聞くだけで痛そうだ。私も痛みで意識が朦朧とする中、看護婦たちの話し声が聞こえてきた。「・・まったく、5人目だというのに大袈裟だわね」、「こっちは全然違うわ」、「私達といっしょ、やはり東洋人よ」という感じの会話だった。私も痛くて叫びたかった。でも出産経験がなかった私は、隣人の叫び声を聞いて、きっとこの先もっと痛くなるのだろう、今のうちから叫ぶわけにはいかない、と思って耐えていただけだった。それなのに、看護婦達の会話を耳にしてからは尚のこと、東洋人たる期待を裏切れなくなって耐え難きを耐えるハメになってしまっていた。そして、見事にあの”お産婆さん”大先生の宣告どおり、翌金曜日に無事出産した。 生まれた子は、中国人の赤ちゃん達と同じ新生児室に寝かされていた。その部屋はクーラーがあって、適温に保たれていた。赤ちゃんは皆、首から下を布地でクルクルと巻かれて寝ていた。指で顔を引っかいたりしない様にという配慮からだったらしいが、まるで顔を出した蓑虫のようだった。特別扱いばかりされていた中国で、新生児が同じ扱いをされていたのが、なにやらすごく嬉しかった。また、東洋人ということで同一視されたことも。

余談だが、もうひとつ忘れられないのは、産後に出された食事だ。産前とはまったく違っていた。中華にするか、洋食にするかが訊ねられ、盛られている食器まで違っていた。毎食のメニューも吟味され、味はよく、北京一の調理師はこの病院にいるのではないかと思った。お腹が空ききっていたことを考慮しても尚感激に値するものだった。 それから、生まれて二日目くらいに、「麻疹の注射をするか」と訊ねられた。日本ではどうしているのか、まったく予備知識がなく一瞬とまどったが、判断基準はただひとつ。「ここで生まれ、ここで育っていくのだから、中国の赤ちゃんが皆受けるのならよろしく」と返事した。思えば、諺にいう「蛇に怖じず」、「知らぬが仏」の無謀さがありましたが、感謝・感謝の体験でした。

※写真1 中国医学科学院・首都医院(現協和医院)
※写真2 出産2日後の赤ちゃんと看護婦さん

ページの先頭へ戻る