心連心Essay


想い出の北京(8) ====「外賓」ということ(その2) ====

想い出の北京外国人は皆一括りで「外賓(ワイピン)」。いろいろな場面で優待を受け、何か催し物を見に行っても「外賓」には特別席が設えてあった(正直なところ、ラッキーな気分)。しかし、特別待遇に慣れていない私は、一般人民の視線も気になり、居心地の悪い思いもした。

病院でも「外賓」の受付は、一般とは別に設けられており、長蛇の列に並ばなくてもよかった。寒空の下、早朝から何時間も待っていた人たち、お先にごめんなさい。列車の駅でも、先ずは貴賓室に通されてソファに座らされ、中国茶などをふるまわれ、出発時刻間際になると、特別ルートを通って列車の指定席にまで案内された。(勿論、その分は料金に反映していたかもしれない。当時は飛行機のチケット代を始めとして、いろんな料金に「外国人料金」があって、それも一律ではなかった。古くからの社会主義友好国である北朝鮮、北ベトナム等の人に対しては中国人民のに次いで安く、続いてアフリカ諸国・・・最後が多分日本など西側に分類される国々であると聞いたことがある。


想い出の北京道で中国人同士が言い争っているところに、私たち外国人が偶々通り合わせると、その騒動を取り巻いていた野次馬の中から「外賓が来た、外賓だぞ」という声があがり、それがご当人たちの耳に届くと、その場が鎮まったりもした(水戸黄門にでもなった気分)。こんなこと、あんなこと、優遇されていて悪い気分ではなかったが、見方を変えれば「隔離」・「監視」されているとも言えた。そして逆に外国人立ち入り禁止の場所もそこかしこにあった。住んでいる北京にしても、自由に往来できるのは半径20キロとか30キロほどの円形の区域だった。万里の長城がある八達嶺や十三陵ダムだけは例外で、その範囲を超えて車で行けたが、そこに到るまでの脇道には厳に入り込むことはできなかった。盧溝橋も橋を渡りきったところには「外国人立ち入り禁止」のたて看板があった。故意であれ過失であれ、そういう場所に間違って足を踏み入れようものなら、どこからともなく、直ちに警告する人が現れた。せっかく来られた中国・北京で、自分自身の好奇心から言えば、もっと自由にさせて欲しい、これでは丸で監視がついているようでいやだと思った。その反面、方向音痴の私には、道を間違える心配がないので助かったこともある。一度、当時若干整備が進んでいて、みんなが行っていた長陵や定陵だけでは気が済まなくなって、十三陵全部を廻る暴挙に出た。そんなことをする外国人がいようとは想定外だったのか、行く手を塞ぐ立入り禁止のたて看板がないのを幸いに、アフリカ大陸で言うところのワジ(乾期には水がない川)のようなところを川筋に沿って大きな石を避けながら運転して行った。その最中にも、いつの間にか、見え隠れしながら着いてきているバイクがあった。お陰で、道をまちがうことなく、全部を回って帰れたのかもしれなかった。


当時の私には、中国は面子の国だから、国の恥となるような未発達の部分とか、汚いところを外国人には見せたくないのだろうと邪推したこともあった。しかし、当時は、中国人民が国内を移動するにも旅行許可証が必要だった(江戸時代の通行手形を思い出す)。その後随分経ってから、当時はまだ文革の終結前であったことを知った。住んでいる私には自覚がなかったが、何がどこから起こるかわからない時期に、外国人を巻き添えにしたりしてはいけないという配慮もあったのだろう。外国人に何かがあれば、国として面目ない。護るためには監視めいたことも必要、、だったのかと。また、当時の中国人の生活からかけ離れた生活様式の外国人を一般人民から引き離しておきたかったこともあったろう。

※写真左上 北京郊外にて
※写真右下 泰陵


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