「ご面倒様です、ちょっと道をお尋ねしたいのですが」。
中国で暮らすと、ずいぶんたくさんの人に道をたずねることになります。たずねる相手は様々で、たとえば、非番のタクシー運転手、講義へ行く途中の大学生、道端でぶっかけご飯をかき込んでいる出稼ぎ労働者、口を開けて大通りをぼんやり眺めている耳の遠いおじいさん、店番に退屈している厚化粧の女亭主、精悍な面立ちの人民解放軍の青年・・・。中国にいた四年間の間、どれだけの人に道を聞いたか分かりません。なぜこんなにも道を聞く必要があったかというと、道に迷うからです。なぜ迷うかというと、まず日本ほど親切に案内や看板が出ていないということがあります。けれども慣れない土地、見知らぬ場所を歩こうとするなら、お抱え運転手やガイドがいるのでもなければ道に迷うことは自然なことかもしれません。
中国人は、日本人よりもずっと気軽に道をたずねます。みんなあちらこちらで道をたずねています。地図を開くよりも人にたずねる方がしっくりくるようです。こちらも彼らに倣って道をたずねてみると、返ってくる答えはまさに十人十色です。こちらを見向きもせずに「知らない」、「あっち」、「こっち」、あるいは「まっすぐ」。そして変化の激しい北京ならではの「そこは、もうない(取り壊された)」。もちろん、親切に説明してくれる人もいます。さっぱり分からない地図を書いてくれる人、目的地までオートバイの後ろに乗せて連れて行ってくれる人、なぜか自分が卒業した小学校の位置まで丁寧に説明してくれる人、そしてさらには、自宅にまで招待してくれる人。
私は一度、バスの路線をたずねた女の子に誘われるまま、彼女の古い土壁のお家で雲南料理をごちそうしてもらったことがあります。家族の団欒に加わり、私も頷きながらたくさん笑って過ごしたのですが、その実、雲南訛りが強い会話は半分も聞き取れていませんでした。けれども、その温かい団欒の光景は、長い時間がたった今でも忘れずにいます。
今思うと、ほとんどの場合、その時道をたずねて自分がどこに行こうとしていたのか、その目的地で何をしようとしていたのか、はっきりと思い出せません。けれども道をたずねた人たちの顔やしぐさ、話していた言葉の方は今でも記憶の奥深くに保存されているようで、日本に帰国し、中国で過ごした日々がだんだん遠ざかっていっても、ふとした拍子に彼らの顔や表情、何気ない言葉がはっきりと思い出されることがあります。すると、何となく中国がとても恋しくなります。
旅行などから帰ってきてよく思うことは、ある場所に対して何となく抱く愛着は、そこで人と言葉を交わすことによって生じてくるのかもしれないということです。私は中国で何度となく道をたずねて、だんだんそこが好きになりました。それはもちろん、答えてくれた人たちを好きになったということです。日本でも中国でも、またほかの場所でも、目的地に着くまでいろんな人が地図や案内板を見るのでなく、道をたずねて目的地に行ってくれればいいなと思います。もしみなさんが見知らぬ場所で道に迷ったら、地図を見る前に、もしかしたらずっと記憶に留まるかもしれない通りがかりの人に、道をたずねてみてください。
清水みゆき
