ひきたごう氏 インタビュー ‐ 上海マジック!

インタビュー日:2010年5月30日

場 所:上海市内某所

・・・ひきた氏、・・・WEBサイト編集部



まず、中国に来たキッカケを教えてください。


日本で何をしようか迷っていた時、5年前から中国で働いていた姉が、「何もすることがないんだったら中国で語学でも勉強してみたら?」と誘ってくれたことがキッカケで、1998年に留学しました。最初は軽い気持ちで来たのですが、もう12年住んでますね。なんか「シャンハイ!」っていう響きが好きだったんですよ。1年目は華東師範大学、2年目から上海戯劇学院に通いました。最初の2年間は語学だけを勉強していましたが、3年目から演劇学科で演劇を学びました。先生もクラスメートもみんな中国人でしたし、授業もすべて中国語でしたので、このとき中国語がかなり伸びました。


具体的にどういった授業だったのですか?


初級班だったのでホントに基本的なところからでした。ストレッチとか、先生が手をたたくたびに喜怒哀楽を次々に表現していくといったものでした。それから、「上海アパッシュ」という劇団に入団したのですが、そこに入ると経験者もいたのでより本格的に、技術よりも心を表現することに重点を置いた稽古をするようになりました。


ひきたごう

その後はずっと今に至るまで「上海アパッシュ」で活動を続けていらっしゃるんですか?


実は、「上海アパッシュ」を1度抜け出して別の劇団を旗揚げしたんですよ。上海アパッシュの座長は僕の師匠で本当に仲いいんですけど、お芝居やってるとぶつかっちゃうんですよ。しかも表面的な対立ではなく芯と芯でぶつかるので、ある日ホントに耐え切れなくなって。。。そして一時イタリアに留学しました。3ヶ月ぐらい。


その後再び上海に戻り、「もうあの劇団には帰らない」と決めて自分で別の劇団を旗揚げして2回公演しました。だけどホントに座長は過保護で、公演する度に観に来てくれて。。。しかも、客席から舞台監督に指示出したりするんですよ。だから「やめてください。それじゃぼくがやめた意味がないじゃないですか」と言ったんですけど、それでもいろいろ面倒見てくれたんですよね。まぁ、それまでの座長と私の戦いが、本当に意味のある戦いだったんでしょうね。そして、2回目の公演が終わった時、「そろそろ帰っておいでよ」って何事もなかったかのように言われちゃって。。。そしてちょうどその時、アパッシュにはメンバーもそろっていて稽古も面白そうで。。。一度稽古を見に行ったら、本当に充実していて「やっぱこれだよな」って感じてしまい、(旗揚げした劇団は公演のたびに人を集めてやる形で特に解散するとかいう必要もなかったので)そのままアパッシュに戻りました。


それから5年ぐらい一緒にやってきましたが、今年の2月に座長が帰国することになったので、今は自分が後を継いでこの劇団を率いています。寂しいですけどね。


劇団をやっていく上で大変だったことはありますか?


中国人だからとか日本人だからということではなく、人と人が何かしようと思えば何か問題が起きるのは当然あることで、そういう意味での苦労というのはないです。しかし1度、公演2ヶ月前に劇場を予約して公演の告知もしていたのに、1ヶ月前にデポジットを払いにいったら、「別の予約が入ったからそっちに決めた」と言われたときは大変でした。それでも、「こんなこともあるさ」とすぐに頭を切り替えて、お詫びの広告を出してすぐに新しい劇場を探しに行きましたけどね。


上海に惹かれる理由は何ですか?


来たばかりの頃は、「なんでも願いがかなう街」というところに惹かれました。「ここに牛丼屋さんがあったらいいな」と思うと本当にできたり、「コンビニでこんな物が売ってるといいな」と思うとしばらくすると店頭に並んでいたり。。。そんな小さな願いがかなっていって、どんどん住みやすい街になっていくのが面白かったです。


でも今は街がほぼ完成されてしまったので、今の上海の魅力は何かといわれると、「上海マジック」としか言いようがないですね。上海を離れると、どうしても上海に戻りたくなっちゃう。


今後の目標は何ですか?


今、年に1回ぐらいしかできていない公演を年2回にしたいですね。次は8月の公演に向けて、短編戯曲2本のお芝居の稽古をしています。自分自身の目標としては、今のこのスタイルを変えないこと、そしてこの劇団に関わる人に人間を磨いて欲しいと思っています。


今日はお忙しい中貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました。



ひきたごう

■プロフィール 

ひきたごう

上海在住12年。2001年から活動を始めた日本人劇団<上海アパッシュ>にて、年2回の公演を目標に活動中。



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