人間は思春期までが成長期ではない


「日本人は外国語が下手だ。」と言われることがある。もちろん実際にはどうかわからない。ただ細かい部分まで全ての面で完璧を心がけて頑張ってしまう日本的習慣が外国語学習の面ではマイナスに働いてしまうこともあるようだ。



「ある範囲を完全にものにするまでは次の段階には進まない」というやり方考え方がある。地道に基礎を積み重ねることは当然必要不可欠だが、一点ばかりに捉われていては時に足踏み状態に陥りやすく、せっかくの時間もチャンスもなくなってしまう。そこはバランス。時と場合、事と程度にもよるが、多少抜けていてもある程度の基礎があれば果敢に次の段階に挑戦してしまった方が進歩が早いことが実はよくある。


言葉の学習と芸事とではよく似た部分があると思うが「機を見るに敏」の言葉通り、目の前に大きな飛躍のチャンスがあればたとえ今の自分が未熟であっても挑戦する価値はあると思うのだ。たとえば「今の自分にこの演目、この役が務まるだろうか?」未知数でも自分なりに演じていく。演じ終えたとき、挑戦する前の自分とは違う自分がいる。失敗して苦い思いをすることもある。でも「やらなきゃよかった。」と思うことは、ない。実際にこういったことの繰り返しではじめて知らず知らずのうちに進歩、成長していくのではないか。言葉は実際に使った方が覚えが早く、芸は実際に客前で演じなくては意味がない。もちろん、ここぞという時に力を発揮するためにも普段からの基礎は大切であることは言うまでもない。  


よく「ずいぶんとご苦労されたんでしょう?」と言われることがある。だが自分自身言うほど苦労したつもりはなく、そもそも無理は大嫌いだ。好きなことならば続く。もっと長続きさせるためにはどうしたらいいか、自分に向いたやり方、また周囲とも調和していくやり方はないだろうかと図々しいことばかり考えている。無理をして自分をも敵に回すより、長所短所を見つめながら自分を味方にしてよりよく付き合いながらやっていく方がいい。当然完全無欠ではなく、役者としても穴ぼこだらけだろう。でも枝葉末節にこだわって形にならないよりは穴だらけでもまずは形になっていた方がいい。あとはその穴をどうやって埋めていくかだ。「いい加減」「いい塩梅」、素晴らしい言葉だと思う。


「西遊記」の孫悟空 役を演じるために京劇役者を志した。孫悟空 を演じる際に感じることだが、雲に乗って十万八千里をひとっ飛びするような勢いとともに三蔵法師のお供をして一歩一歩歩いて天竺まで旅をするような着実さと細心さも大切にしながら演じていきたい、ということだ。


人間は思春期までが成長期ではない。「心」の持ち方一つでいつでも成長できるのではないか、またいつまでも成長し続けるべきではないかと思う。




石山雄太さん

■石山雄太さん プロフィール


小学校時代、孫悟空に惹かれて京劇俳優を志す。
日本で中国語を勉強しながら、日本の京劇愛好者が集まる「京劇研究会」で芸を学ぶ。
17歳で単身中国へ渡り、北京にある中国戯曲学院付属学校の厳しい試験に合格して本格的に京劇を学び始める。その後、中国戯曲学院に進み、都合8年もの厳しい修行を経て、2001年、ついに外国人初のプロの京劇役者となり、名門の中国京劇院に所属する。
以後、孫悟空役を中心にさまざまな舞台を務め、現在も最前線で活躍中。



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