【日本との関わり】
心連心 |
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日本の音楽や文化に対して、昔からどのような印象をもたれていましたか?
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鶯 |
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日本に来る前は、文化が豊かな国、という印象でした。京都などの古い文化と、新しい文化が共存していると思っていました。
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燕 |
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一言で言うと穏やかな国、という印象がありました。あと、日本のアニメは中国でとても人気があって、『一休さん』や『ドラえもん』などは小さい頃から見ていました。
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心連心 |
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お二人が日本に活動の拠点を移されたきっかけを教えてください。
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燕 |
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湖北省芸術学院に在学していた時、日本で行われる「第7回高校生国際芸術コンクール」の情報が入ってきたんです。そこで二人でテープを作って応募しました。そして予選を突破し日本に行くことになり、二人別々に受けたにもかかわらず、本選では二人同時に優勝することが出来ました!それが大きなきっかけですね。
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鶯 |
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言葉は通じないけど、自分の音楽で皆さんの心を通じ合わせることが出来たことに感動しました。もっともっと日本で、自分たちの芸術観を磨いて古箏の魅力を伝えていきたいと思ったんです。言葉の壁を越えても、音楽が伝わるんだと思えたことも大きかったです。
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燕 |
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中国に戻ってみて、改めて賞をとったこと、世界の舞台に立てたことに対して自信が深まりました。そこで家族会議をして、話し合いました。日本に行って挑戦するか、中国で活動を続けていくか本当に迷いました。 でもコンクールで日本の審査員たちの心に届いたことを思い出し、もっと成長したいという思いと もっと広く自分たちの音楽や古箏の魅力を世界に向けて伝えていきたいと考え、決断しました。
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心連心 |
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活動の拠点を移されてから、言葉をはじめ、さまざまな苦労があったのではないですか?
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鶯 |
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言葉が通じないことは確かに不安でしたが、日本に来る前はわくわくしていました。日本に来るときは夢と希望が満タンでしたね。
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燕 |
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想像でしかなかった初めて自分たちだけで生活をするということ、さらに言葉がまったく通じないということは、すぐに現実として立ちはだかりました。生活のなかで言葉が通じないもどかしさ、生活習慣に慣れない苦労はすごく感じました。けれども成長したくてここに来たのだから、覚悟を持って自分の選択したことだから、2人で一緒に選択した道だから頑張るしかないと日々思っていましたね。
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鶯 |
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二人だけで困難に立ち向かわなければならない、それを解決しなければならないことはつらかったです。しかし今考えてみれば、父母がいて当たり前で、なんでもしてくれる世界では成長は望めないと思ったんです。それに若いときだからこそ、困難には耐えることが出来ると思いました。
燕 帰りたいとかつらいという気持ちはすごくありましたが、そういう困難を乗り越えてクリアしていかなければ何も生まれないことがわかりましたね。
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