原稿を書いている最中に、ちょうど参議院選挙があったので、こんなタイトルをつけてみた。とはいっても、お話は選挙とは関係ない。
前回書いた「小人書」と並んで、昨今の中国で収集熱が盛んなのが、「票」だという。糧票、彩票(宝くじ)、股票(株券)、門票(入場券)、などなど。
私は、門票については、集めるというほど熱心ではないが、これまで使った入場券はずっと残してきていることは、「かわら版」時代に書いたことがある。そのうちに、このコラムでも触れる機会があるだろう。中国の骨董市場では、以前からよく見かける商品だ。
彩票と股票にはあまり興味がないが、昔の股票は以前から古玩市場で見かけた。彩票の方は、中国で宝くじがはじまって、まだそんなに日が経ってはないはずだが、名前があげられているのを見ると、もうコレクターが出てきたらしい。
残った糧票には、コレクションというだけでなく、制度そのものに前から興味があったが、不思議と縁が無かった。いつの頃だろうか、月壇の切手市場で糧票を売っているのを見かけた時には、やはりコレクターがいるんだなと思ったし、いろいろな糧票が見られてうれしかった。
糧票といっても、この頃は北京在住の日本人の方たちの間でも、ご存知ない方も多いらしい。老北京(といっても、この場合は八十年代の北京を知っている人だが)と、新世代との違いの一つは、糧票を知っている(使ったことのある)世代と、知らない(使ったことのない)世代ということになるかもしれないと思ったことがある。
北京市で糧票の制度がはじまったのは、一九五三年十一月のことで、一九九三年の五月に廃止されたそうだから(上海市も九三年らしい)、約四十年間継続していたことになる。私が個人旅行で中国へ行くようになったのは九一年からで、それ以前は、短期の、国際旅行社丸抱えツアーの旅行者としてしか中国を訪れていないから、糧票を使った経験はもちろん、お目にかかることもなかった。
ただ、たった一枚だけ糧票が手もとにあった。それが、今回の図版にした一九七二年の上海市の糧票だ。この糧票を入手したのは、一九八六年のことで、ホテルの敷地の中に落ちていたのを拾ったのだが、私にとっては、はじめて見た糧票の現物だった。その時の旅行のアルバムに貼っておいたのを、今回スキャンしてみた。
収集ブームのせいか、最近は、新聞で時々糧票について書かれた記事を見かける。収集の話でなければ、糧票を使っていた時代の思い出話が多い。
七月十二日の「解放日報電子網路版」(上海)に、裏梁という人の「糧票:記載中国人喫飯的歴史」という文章が掲載されていた。この記事は、上海の人が出版した糧票の図録についての紹介記事だが、その冒頭は、「現在では多くの若い人には想像できないことだが、糧票はかつて人々の日常生活と密接な関係があった。長い間、糧票がなければ、少しも出かけることができなかった。もし銭があっても、糧店で食糧を買うことはできなかったし、食堂やホテルに入っても、包子や米飯を買うことはできなかった」と書き出されている。
森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。
趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。