中国を見る、読む、集める


北京郊外の地図

中国を見る、読む、集める 世の中には、有りそうで、じっさいにはなかなか無いものがある。戦前の北京の地図では、城外の地図がそれだ。建国前の北京の地図を四十枚以上集めたが、ほとんどが城壁の内側の地図で、城壁に密接した地壇や日壇などが添え物的に描かれているのがせいぜいだ。


 なので、京都のR古書店から最近手に入れた、『実測京師四郊地図』という地図は、珍しい地図に入れてよいだろう。地図が作られたのは民国四年(一九一五)で、作成者は内務部職方司測絵処とある。


 地図の範囲は、東は、高碑店、望京だから、だいたい五環路の外側まで、北も円明園の北側、清河まで入っているから、これも五環路の外側になる。西は、北の方は香山が入っているが、西南は三環と四環の間、南は南苑の北側までだから四環のあたりと言ってよいだろう。これで、三万六千二百分の一の縮尺なので、ずいぶん大きな地図で、タテが一〇八センチ、ヨコが一三七センチある。大きすぎて、とても図版には納まらないので、今回は、あとで触れる金の土城の一帯だけを縮小して載せてみた。


 中国では、昔から城壁の内と外の区別ははっきりしていた。現在では城壁が撤去されて、どの都市も城壁の内外の区別が無くなり、市域が郊外へと広がってしまっているが、それでも、新聞に郊区版というのがあるように、市区と郊区の区別はある。まして、都市であるのは城内だけと言うのが、昔の中国の都市だった。しかし、北京くらいの町になると、城外に何にも無くて、ただ農村が広がるだけというわけではない(それはそれで面白いが)。


 この地図を眺めていると、作られた民国四年は、清朝が滅んで間もなくだから、北京の周辺に配置されていた清朝の八旗軍の駐屯地が、ちゃんとした形であちこちに見つかるのが、まず面白い。現在でも、西北郊外には「○○旗」という地名がたくさん残っている。あるいは、あちこちにお寺や廟が存在していて、現在では観光地になっているお寺が、もともとはどんな環境の所にあったのかがよくわかる。


 もっと昔の北京に関係することも読み取れる。元朝の都の大都が現在の北京の原形であることは、ご存知の方も多いだろう(城壁跡が元土城公園として整備されて、今も残されている)。もう一つ前の一二、三世紀の金王朝の都、「中都」も、今の宣武区、豊台区にかけての地域にあった。その城壁の跡も、今世紀の初めにはかなり残っていたことが、この地図でわかる。こちらは、現在ではほんのかけらしか残っていない。


 私にとっては久しぶりの収穫と言えるこの地図、何年も前にSさんのお宅で拝見して以来、欲しかった地図の一つだった。今回、郵送されたR書店の目録で見つけて、その場で電話をして、押さえることができた。こういう時、携帯電話は便利だ。以前に、実物を見ていなかったら、そこまで機敏に反応しなかったかもしれない。モノ集めに一般的に言えることなのだが、知っているモノを見つけることはできるが、知らないモノを見つけるのは難しい。


 この地図には、同じ職方司測絵処作成の、『京都市内外城地図』という兄弟版がある。作られたのは、翌年の民国五年、対象範囲が城内だけと狭い分、縮尺は一万分の一になっている。コピーでは持っているのだが、人間の欲はキリがないもので、こうなるとこちらの地図もどこかで見つけたいものだと願っている。


 ところで、この地図の売値は一万円だった。お読みの皆さんは高いと感じられるか、安いと感じられるか、どちらだろう。琉璃厰のオークションに出れば、千元以下では買えないと、私は思っているのだが。


森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。
趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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