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| 史蹟が増えた? |
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じゃあ中身はどうかと見比べたいところだが、よく週刊誌なんかに載っている「間違い捜し」は苦手で、二つの地図を並べて見ても、なかなかわからない。だいたい、この二つの地図は、下図も同じデザインなので、ちょっと見には、違いはなさそうだった。 とりあえずチェックしやすいものということで、バスの路線を比べてみた。これははっきりと変化している。そのあたりからたどっていくと、店や単位の変化もけっこう激しいようだ。この地図は、新しい情報をかなり丁寧に取り込んで改訂しているということになる。郊外の方では、住宅区が広がったためか、下図に手の入っている場所も見つけた。 こんな調子で見比べていて、妙なことに気がついた。新しい版では、「∴」のマークが目につく。「図例」には、「∴」は、「名勝、古蹟、遊覧地」だとなっているから、だいたい日本の地図と同じ意味で使われているようだ。 史蹟は私の仕事にも縁があるから、どうしても気になるので、丁寧に探してみると、城内、それも内城に「∴」が付いている場所が多い、しかも、これまであまり聞いたことのない場所が増えている。 それで、東城区について、東城区の各級の文物保護単位のリストと付き合わせてみた。そうすると、今回の地図に出現した古蹟名勝は、市級や区級の保護単位にすでになっているものが多いようだ。 まず、桂公府(新鮮胡同)、僧王府(板厰胡同)といった、王府の類がある。清朝時代の皇族の邸宅である王府のうち、現在公開されているのは、恭王府くらいしかないが(宋慶齢故居も王府)、民国時代の地図を見ると、故宮を取巻いて、広大な敷地の王府がたくさん存在していたことがわかる。桂公府は、西太后の弟桂祥の邸、僧王府は、清末の将軍で、太平天国やアロー号戦争に関係したセンゲリンチェンの邸で、いずれも区級の文物保護単位になっている。 皆さんもご存知のように、こうした建造物は、建国後いろんな単位に使用されたり、民家になったりしていた。それが徐々に旧状に復しつつあることは、時々報道される。今回の地図に王府の名前が出るようになったのも、そうしたことと関係があるのだろうか。 また、帽児胡同には、旧宅院、可園などの「∴」が記入されているが、これも現存する清朝の大官の邸宅で、やはり文物保護単位になっている。 もちろん、文物保護単位が全部地図に載っているわけではない。朝陽門内大街の孚王府(以前から掲載)に隣接して、大慈延福宮という道教のお寺があり(天官、地官、水官の三官を祀り、通称三官廟)、これも市級の文物保護単位になっている。乾隆年間の建築がかなり残っており、修復もされているようなのだが、こちらは『生活地図冊』に出ていない。たんに地図の図版のスペースの問題なのか、使用中の単位の関係か、ちょっと興味がある。 二〇〇八に向けて、城内の再開発が進む中で、旧い民家などが取り壊されて、かつての北京の面影を残す街並みが消えて行きつつあることが話題になっている。これらの建物は、民家というには豪邸過ぎるが、もし公開されることがあれば、一度は行ってみたい。 なお、清末から民国にかけての王府の様子については、『最後の公爵 愛新覚羅恒煦』(愛新覚羅烏拉煕春著、朝日選書)が詳しい。この本は、立場が変わると、同じ歴史上の事件でも、こうも見方が違うのか、という点からも面白い。お勧め本だ。
森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。 趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |