
![]()
![]() |
| 孚王府と柏林寺 |
|
前回、王府の話の中で、朝陽門内大街の孚王府のことに触れた。その原稿を、「トコトコ」の編集部に送った翌日、去年から溜まっていた「中国文物報」を整理していると、孚王府の話が出ていた(一一月三〇日号)。 前回は名前を書いただけなので、まず孚王府について紹介しておこう。孚王府は、清朝の雍正年間に起源があり、康煕帝の第十三子怡親王の家に賜った邸だった。後に、この家の当主が西太后と争って没落し、道光帝の第九子の孚郡王奕 の邸となったので、「孚郡王府」とか、「九爺府」とか呼ばれていた。王府の典型的な建物群が、現在でもかなり保存されているようだ。市級の文物保護単位になっている。 さて、「孚王府何時復原貌」と題されたこの投稿では、このような孚王府の歴史を紹介したあと、現在の孚王府は多数の単位に占拠されており、事務所や住宅に使用され、古い建築が破壊されて新しい建築が建てられて、道もアスファルトで舗装されている、と現況を述べ、関係部門がこの歴史文化建築を救うように求めている。 そこで、編集部にお願いして、孚王府の門の写真を撮ってきていただいた。図版の写真がそれだが、写っているだけで、中国科学院自然科学史研究所や出版社など九つの看板が見える。この様子では、地図に載っているからといって公開が近いのではないかなどと、甘いことを考えていてはだめなようだ。 ところで、中国文物報によれば、中国文物報社は北四環路の方に移転したようだ。移転前の文物報社は、雍和宮の東隣の柏林寺というお寺の敷地の中にあった。かなり前に一度行ったことがあるが、雍和宮の門前の道を東に行き、塀に沿ってくねくね曲がった胡同に面して、柏林寺の入り口があったように覚えている。敷地には大きな木が茂っていて、お寺の建物も残っていた。 柏林寺は元の至正七年(一三四七)に創建されたお寺で、「京城八大寺廟」の一つに数えられている。現在の柏林寺の建物は、清朝の康煕や乾隆の時代に改修されたもののようだ。建物がよく保存されているだけではなく、仏像や石碑、鍾なども残されていると資料にある。市級の文物保護単位になっている。雍和宮の隣という場所もいいし、公開されればかなり期待できるのだが、文物報社は敷地に点在する建物の一つを使っていただけだから、はたしてどうなるか。 柏林寺には、清朝の雍正から乾隆にかけて出版された漢文の大蔵経(龍蔵)の版木が納められていた。この七八二三〇枚の版木は、現在では雲居寺に遷されている。また、雍和宮や柏林寺があった関係で、チベット仏教のお経の出版や、仏像仏画造りもこのあたりでおこなわれていた。戦前の北京におられた方から、お経を買いに行った話を聞いた記憶がある。出版文化に縁のある土地柄のようだ。 ところで、私が柏林寺の文物報社へ行ったのは、「中国文物報」のCDROMを買うためだった。この光盤には、一九八五年から九七年までの「文物報」の紙面が収められている。 新聞の保存は、私自身も経験があるが、個人ではたいへんだ。図書館でも場所をとるし、変色、劣化したりして、扱いに困っている。最近、中国で新聞の電子化が進んでいるのはありがたい。「文物報」の場合、記事の単語検索もできて、これも役に立つ。
森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。 趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |