中国を見る、読む、集める


日本語の沿線案内

中国を見る、読む、集める 鉄道沿線の案内書は、中国語のものだけではない。日本語もある。


 ご存知の方も多いだろうが、日中戦争の時代、日本が占領していた地域の鉄道は、日系の会社によって経営されており、長江を境目に、北は華北交通、南は華中鉄道という会社が設立されていた。どちらの会社も、鉄道だけでなくバスや水運も営業している。このうち華北交通は、一九三九年に設立され、最盛期の鉄道路線の総延長は六一一七キロ、従業員数は日中合わせれば十五万人を越える大会社で、本社は北京に置かれていた。


 この二つの会社は、いずれも日本語の沿線案内や、PR誌を出していた。鉄道の路線は昔と変わっていないから、これらの本や雑誌は今でも観光ガイドとして役に立つ。現在のガイドブックには載っていないような小さな駅や沿線の風景なども紹介されているし、当時掲載された写真の中には、貴重なものもある。


 今回の図版にしたのは、日本国際観光局(JTBのご先祖)が、一九四一(昭和一六)年に発行した『支那蒙疆旅行案内』で、鉄道会社だけではなく、旅行会社もこうした案内を出していた。この本には、西は山西、南は浙江までの鉄道の沿線が紹介されている。このうち北京に関係ある路線としては、京包線や京漢線、京山線、京口線などがある。後ろの二つの名前は今はないが、京山線は北京から山海関、京口線は北京から古北口の鉄道で、そこから先は別会社の満鉄の経営なので、こういう命名がされていたのだろう。


 私がはじめて中国に旅行した時、『支那蒙疆旅行案内』はすでに手もとにあった。なにせ日中戦争のさ中に出された本なので、さしさわりがあってはいけないと思って、必要な箇所だけをコピーして持っていったのを覚えている。大同から北京への汽車の旅のあいだ、通過して行く駅の一つ一つと、その本に書かれている沿線の風景についての記事をつき合わせながら、車窓を見ていた。


 一四四九年、モンゴルのエセン汗を遠征した明の英宗正統帝が、逆にモンゴルの捕虜になるという有名な事件が起こった。歴史上、「土木の変」と呼ばれるが、この事件の舞台となった場所に、今でも土木堡という駅があることをこのガイドブックで知り、楽しみにしていた。もちろん停車はしなかったが、駅を列車が通過した時に、駅舎の写真を撮った。なんの変哲もない田舎の小さな駅だが、駅舎に書かれた「土木堡」という文字に不思議な感動をおぼえた。


 こうした戦前のガイドブックは、ていねいに古書目録を見ていると、ときどき載っていて、そう珍しい本ではない。相場は四、五千円くらいだろう。ちょっとしたガイドブックなら、新刊で二千円はする昨今、お買得かもしれない。なにせ日本語だし、特快などは通過してしまうような、小さな駅についてまで解説があるのだから。


 車窓をもっと少し細かくみようと思うと、日本の国内旅行なら、二十万分の一の地図を持って乗ると、色々なことがわかって面白いので、はじめて乗る路線の場合などに利用することがある。五万や、二万五千では大縮尺すぎて、列車のスピードについていけない。現在の中国では地形図を手に入れるのは簡単ではないが、戦前の中国の地形図なら、最近は復刻版が出ているから、旅行の内容によっては、それをコピーして持っていくという手もある。


 旅行の時は、列車に乗っている間も忙しい。沿線の景観や鉄道から見えるはずのものが気になってしょうがないからだ。一生のうちにもう一度通るかどうかどうかわからないので、無駄にしてはもったいないという気分だ。中国に在住の方なら、そこまではお考えにならないだろうが。


森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。
趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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