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| 『増廣海上名花月影大観』 |
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天安門の左、中山公園に入ると、入り口の正面に、有名な「保衛和平」の石坊がある。現在の文字は、郭沫若が一九五三年に書いたものだが、さかのぼると、東単の北、東総布胡同に立っていた、義和団に殺されたドイツ公使ケットレルのための坊表だった。戦後に賠償と謝罪を要求するケットレル夫人に、清朝政府に依頼された賽金花が交渉し、この坊表を立てることで解決した。第一次世界大戦でドイツが敗戦した後、坊表は解体され、文字も「公理戦勝」と改められて、当時の中央公園、現在の中山公園に移された。 賽金花は蘇州の生まれ、清朝の高官でロシア、ドイツ、オーストリア、オランダへの欽差大臣となった洪鈞の第三夫人として、一八八七年から九〇年までベルリンに同行した経験があって、ドイツ語ができ、しかも八カ国連合軍の司令官ヴァルデルゼーとも親しかったので、交渉を任されたのだった。この件だけでなく、単身で連合軍と交渉し、多くの人を救ったことで、後に彼女は愛国のシンボルとなり、一九三六年に北京で死んだ後は、陶然亭公園に葬られた。今日も墓は残る。 さて、ベルリンから帰国してまもなく、一八九三年に洪鈞は死に、蘇州に帰った賽金花は、やがて上海の二馬路(現在の九江路)で妓館を開いた。それが、一八九四年、ちょうどこの本の出た年である。一八九八年に天津、そして北京に移るまで、上海で、妓女であり妓館の主人である日々を過ごしたという。 ところで、この絵には気になる点がある。それは、この画面には四人が描かれていて、彼女はそのうちの一人なことだ。後ろ向きで描かれている女性もいる。どれが賽金花かわからない。この本の中には、一人で描かれていたり、二人で描かれていたりする妓女もいる。劉半農の書いた『賽金花本事』を訳した竹内好氏の訳注によれば、当時の上海の花柳界には、林黛玉、金小宝、陸蘭芬、張書玉などが名妓で、「四大金剛」と呼ばれていたという。「名花月影大観」の巻頭にある妓女達の名鑑にも、金花の源氏名「趙夢蘭」は見えないし、彼女が使っていたという「月娟」、「素娟」の名前もない。上海で店を張ったばかりの彼女は、まだそれほどの格式ではなかったのだろう。 さて、この本では、四季の風俗の中に名花たちが描かれているのだが、買った本は、「夏季」で終わっている。どう考えても後がありそうだが、出なかったのかもしれない。確かめようと思ったが、国内の代表的な中国文献所蔵機関の目録には見つからない。その時、思いついたのが、魯迅の友人としても有名な増田渉氏が、平凡社の『中国古典文学大系』の月報に連載されていた「雑書雑談」に上海関係の文献を紹介されていたことだった。探してみたら、やっぱりこの本も取りあげられていた。 増田さんの死後、蔵書は関西大学図書館に増田文庫として保存されており、近代中国に関係する奇書、珍書がたくさんある。増田文庫の目録をめくってみたら、やはりあった。しかも二組も。そして、予想どおりこの本が二冊本らしいことも確認できた。機会を見て関西大学で、この本の残り半分を閲覧して、そこに賽金花関係の記事が無いか捜してみたいと考えている。この本は、大阪の四天王寺の青空古本市で買った。買値が千円だから、不完全な本でもしかたないのだが。 次回は、ちょっとした掘り出し物の話。
森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。 趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |