中国を見る、読む、集める


蘭陵王

蘭陵王 気がついてくださった方もおられるかもしれないが、前回でこの連載は百回になった。といっても、最初から「トコトコ」に連載していたのではなく、今は無くなった「北京かわら版」への連載だった。九三年の三月からはじまったから、ちょうど十年間続いたことになる。
  最初に「かわら版」への寄稿のお話があったのは、九二年の秋に北京にお邪魔したときだった。私は、勤務先の奈良大学の雅楽研究会が、結成十周年の記念に、春日大社の南都楽所(なんとがくそ)と合同で舞楽「蘭陵王」を、河北省の磁県にある王の墓の前で演奏をするのに便乗して、北京に来ていた。
  蘭陵王は、北斉の蘭陵王長恭(六世紀の人)が美男で、顔があまりに優しすぎたため、戦さのときは恐ろしい顔の面をつけて出陣して連勝したという故事を舞にしたもので、真っ赤な衣装に黄金色の龍の面という華やかな姿で舞われる。舞楽の中でも大曲である。
  蘭陵王は実在の人で、正史の『北斉書』に伝記があるが、この話が事実なのか、それとも伝説なのかは知らない。しかし、少なくとも『教坊記』などの唐代の文献には、この話がすでに書かれているから、古くから有名な話だったのだろう。磁県の蘭陵王のお墓には、唐代の立派な墓碑が現存している(この碑はなかなかのものだ)。この墓前で、中国では途絶えて日本にだけ伝えられた「蘭陵王」を演じることは、当時奈良大学教授でもあった、南都楽所の楽頭、笠置侃一さんの長年の夢で、それが実現したのが、この公演だった。
  写真は、その時の公演の光景で、後ろの金色の像は、少し前に作られたという蘭陵王の像だが、今では漢白玉のさらに巨大な像に変わっているという。河北省の南の端にあるこの町は、当時対外未開放地区で、まだ日本人はあまり訪問していなかった。公演は大変な人出で、土手に登った群衆のために傍を走る京広線の列車が止まる騒ぎになった。テレビや新聞などの報道陣もたくさんいて、この写真にも、カメラマンが写っている。
  現地側としては、これを機会に、郊外にある有名な響堂山石窟や、北隣の邯鄲市の三国曹操の都、郊の遺跡などと一緒に、このお墓も観光地として売り出したいようだったが、その後どうなっているのだろうか。蘭陵王の像が新しいものに変えられ、石碑を囲う建物も新しくされたということだから、まだまだ意欲があるのだろう。
じつは、「かわら版」のためにいちばん最初に私が書いた原稿は、この墓前公演の紹介だったのだが、活字にならないままで、連載「中国を集める」がはじまった。幻の連載ゼロ回目とも言える。
  それから十年、先日、雅楽研究会の二十周年記念会が、春日大社で催された。そして、私の連載も百回を迎えた。十年の間には、「かわら版」の発行人だった根箭さんのように、亡くなった方が何人かおられるし、すでに北京を離れられた方も多い。私とても、家庭の事情で、九九年の九月を最後に、北京を訪れることがなくなった。
そして、この百一回目の原稿を載せた「トコトコ」が発行されるころ、久しぶりの北京行きが実現しているはずだ。どれだけのことが、今回の短期の旅行でできるかわからないが、少しでもたくさんのモノを集めて、新しい百回への第一歩をはじめたいと考えている。


森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。
趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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