中国を見る、読む、集める


「の」を見かけた

「の」を見かけた三年半ぶりに北京におじゃまして、月並みながらその変化に驚かされた。日本にいて本を読んでいるだけでは、いくらネット情報で新しい状況を取り込んでいても限度がある。やっぱり行ってみなければだめだ。以前から気になっていた現象を、北京で見かけた。今回は、そのことを書いてみたい。
  新東安広場に入ったのも、今回が初めてで、地下の商店街は、日本のデパ地下というより駅の地下街みたいで、わくわくさせられた。その地下の中央広場でやっていた化粧品のキャンペーンのステージの背景に、大きく「春の繽紛」と(もちろん簡体字で)書かれているのを見つけた。「春の繽紛」と書かれたポスターも、地下街のお店に貼ってあった。

  仮名や日本語の単語が、Tシャツのデザインや店のポップ、店の名前などに使われるのは、アジアさらには世界各地で見られる現象で、その珍妙な用法を面白がった紹介はあちこちで見られるが、中国の国都北京で、露店の商品ならともかく、王府井の、それもどまん中で公然と仮名文字が用いられていたのには驚いた。

  このイベントは、香港系の屈臣氏(WATSON'S)主催だったようなので、「の」が、北京に定着している証拠としては弱いのかもしれないが、飲料でも「鮮の毎日C」というのがあちこち売られていて、テレビのCMも放映されていることに、それから気がついた。
  私が、台湾で、「の」が多用されていることが気になったのは、いつごろだったのだろうか。おそらく八十年代の半ばあたりだと思う。なにかにつけて日本びいきな台湾で、「の」が使われるのは、それほど不思議ではない。しかし、中国となると、どうだろうか。「の」が、中国でどのように出現し、定着するかしないか、にはかねて興味を持っていた。それを、首都北京の、それも中心的な繁華街や、テレビのCMで見つけて、時代の流れを感じた。これは、いつのころからの現象なのだろうか。
  こうした流行は、おそらくは台湾や香港からまず南方に入り、北京にまでやって来たのだろうが、「の」の多用を北京ではいつごろ見かけられるようになったのか、ご存知の方はお教えいただきたい。北京で、「トコトコ」の編集部の皆さんと食事をしたときにも、話題にしたのだが、さていつごろからだろうとなると、はっきりした答はなかった。

  「の」が多用されるということについて、もう少し考えてみよう。「の」の場合は、他の日本語のように、でたらめに適当な文字や単語が使われているのではなく、正しく使われているのが、普通だ。日本でインチキ中国語、あるいは中国語風キャッチを作るときに「的」が多用されるのと、ちょうど裏返しの言語現象だと言えなくもない。
  私は、これには、理由があると思っている。中国語の「的」と、日本語の「の」とは、意味的に対応する部分が多いから、中国語の中にいれて用いても無理がないからではないだろうか。もっとも、この話をあちこちでしていると、「の」が多用される理由の一つは、「の」が書きやすいからではないだろうか、と言われた方がいた。なるほど、それもあるのかもしれない。

  台湾で「の」の使用が目についた時に、同じように気になったのが、店の名前への「屋」の多用だった。これも日本風ということで、カッコよく感じられたからだと思うのだが、北京、中国では、日系以外でどの程度「屋」は使われているだろうか。ご存知なら、これについてもお教えいただきたい。

森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。中国近世の社会・文化を専攻する。
趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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