
![]()
![]() |
| 七百元は高いか |
|
写真ではよく見えないと思うので、表紙に書かれている文字を読んでみると、右から、「居民必携 袖珍北平市分区詳圖 附・街巷地名索引」と書かれている。下の横書きの部分には「復興輿地学社出版」とある。 この地図冊は、一九四七年に上海の復興輿地学社から刊行されたもので、内七区、外五区という当時の区画ごとの城内の地図に、城内の総図と四郊図の、あわせて一四枚の地図と、七〇頁あまりの地名索引でできている。 去年十月の北京訪問は雨にたたられた旅だった。目的は文物市場を見ることだったから、Aさんと雨の中を早朝から潘家園へ出かけたが、風も雨も激しくて、屋根のある場所の本屋もほとんどが店を閉じていた。開いていた店で地図を探していると、居合わせた別の客が、うちの店に北京の地図があるから来ないか、場所は報国寺だ、と言う。ちょうど報国寺に廻ろうと思っていたところなので、ついて行くことにした。 彼の店は報国寺の境内に並んでいるプレハブ長屋の店舗の一つで、状態はよくなかったが、何枚か北京の地図を買った。この地図はそのうちの一つで、最初は千元くらいのことを言われたように思うが、結局は七百元で折り合った。 なぜ、そんなに高いものを買ったのか。ちっぽけな、しかも戦後に出た本だ。 駒込の東洋文庫に、北京の亜洲輿地学会が一九四二年に発行した『袖珍北京分区詳圖』がある。書名は違うが、編者も同じだし、頁数も一致する。帰ってからネットで調べた限りでは、国内ではこれしか出てこない(中国の本に関しては、ネット検索はアテにならないが)。 この本を見たとき、最初に思ったのは、東洋文庫の地図と同じものだということだ。もちろん、東洋文庫の本とこの本とは、まったく同じ本ではない。書名が違うのは、戦後の中華民国の首都は南京で、四二年には日本の傀儡政権の首都だった北京が、もとの名前の北平に戻ったからだが、問題は刊行年の違いだ。東洋文庫の本は一九四二年、こちらは一九四七年、この違いが大きい。私に七百元を出させたのは、この五年の差だった。一見すると、五年古い東洋文庫の本のほうが貴重のように思えるが、そうではない。 一九四五年の敗戦で、日本と中国大陸との縁が切れた。在留邦人の引揚げの時には、書物の持ち出しは厳しく規制されて、地図などはとんでもない話だった。その後、中国では内戦が始まり、人民共和国の建国後も人や物の行き来は途絶えた状態だったことはご存知のとおり。 やがて日中間の貿易は再開し、中国の書物も輸入されるようになるが、敗戦からそれまでは、言わば空白期間になる。つまり、戦前の本よりも、この時期のものの方が、日本では入手が困難なのだ。一九四二年版は、金額を別にすれば日本の古書店で手に入る可能性がある。しかし、四七年版が手に入る可能性は限りなく小さい。 それに、私は、だいぶ前に東洋文庫の地図を撮影してもらっているが、マイクロの撮影・焼付には一コマ百円以上の費用がかかる。百頁をこえるこの本を撮影するには、五千円以上の経費がかかった。倍ですむなら、本物の方がいい。 客観的には、この地図の七百元はボラれていると思う。しかし、上のような事情で、この本は、私にとってはそれだけの金額を払ってもほしい本だった。 さて、この七百元は高いのか安いのか。 森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。 中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |