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| 人民英雄紀念碑のてっぺん |
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まず、最初の図版を見ていただきたい。 これが何か、おわかりになるだろうか? 天安門広場にある、人民英雄紀念碑の写真なのだが・・。 そんなばかな、とおっしゃるだろう。すぐ気がつくように、写真の紀念碑はてっぺんが平らになっていて、中国の伝統的な石碑の形に5つの星がデザインされている。じゃあ現在天安門広場に建っている紀念碑のてっぺんがどうなっているかだが、あまり当たり前の風景なので、さてとなると思い出されないかもしれない。 この写真は、『首都人民英雄紀念碑設計資料』という本に載っている。 人民英雄紀念碑の建設が正式に決められたのは、1949年9月の政治協商会議。すでにそれ以前から、デザインについての議論があったようだが、建設委員会が発足して、集められた設計案は140種類あまり、高いもの、低いもの、いろいろあって、この本には、中国式の門を3つ連ねるものや、平らなものなど、当時の設計案が載っている。最終的に立柱型に決まり、1951年の国慶節には、5分の1の模型が天安門広場に立てられて、意見を求められた。その光景が、この写真だ。 それ以後も、上に彫像を飾りつけるとか、展示室を基礎部分に作るとか、内部にエレベータを通して、頂上に作った亭に上がれるようにするとか、いろいろな意見が提出された。その案もこの本に載せられている。そして、最終的に、毛沢東の題字をメインにし、周囲を中国革命史の浮き彫りで囲うという、今の形に落ち着いた。しかし、碑のてっぺんをどうするかについては、まだ決定しておらず、本書の中でも意見が求められている。 正式に工事が始まったのは、1952年の8月1日(建軍25周年)で、1955年の国慶節の完成が目指されているとあるが、本の中では碑石はまだ立っていない。
この本の扉には、「首都人民英雄紀念碑興建委員会編印 1953年9月」と書かれているが、1953年11月から54年8月までの経過を書いた補遺があるので、54年秋に出たのだろうか。碑の落成後の天安門広場の夜景という写真が1頁だけあるのだが、これは想像図かもしれない。あるいは、後から入れたのか。 昨今の建築ブーム、都市改造の以前にも、建国後の北京には、大きくさま変わりした時期がある。城壁がなくなったのが一番だろうが、1955年は、まだまだ建設の途中で、この本には、天安門広場を囲む人民大会堂も歴史博物館も姿を見せない。参考として載せられている北京の「高建築」の比較図を見ると、城内では、山の上にある景山の万春亭や北海の白塔を別にすると、白塔寺の58mが際立っている。近代建築で高いものは、せいぜい北京飯店や和平賓館くらいしかなく、高さは34mで、鼓楼・鍾楼はもとより、まだ残っていた城門のほうが高い。紀念碑は39.4mで、当時の北京では頭一つ抜け出していた。 この本も、去年の10月に潘家園で買った。他の本とまとめて払ったので、はっきりと思い出せないが、50元はしなかったはずだ。高いといえば高いが、この種の本は、北京以外では(たとえば日本では)めったに手に入りそうにないので、古書市場に出てくる本のうちでは、狙い目として一番面白いと、私は思っている。 天安門広場に行かれた時は、紀念碑のてっぺんにも目をやってください。 森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。 中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |