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二枚の捷報の謎

中国史の大先達である宮崎市定の名著に『科挙』がある。といっても、1963年に中公新書で刊行されてベストセラーになった『科挙−中国の試験地獄』(現在は中公文庫)ではなく、1946年に秋田屋書店という出版社から刊行されて、平凡社の東洋文庫で、『科挙史』というタイトルで復刊されている方の『科挙』だ。

この本の表紙を開くと、真っ赤な図版が目に飛び込む。これが、「捷報」で、科挙の合格通知なのだが、科挙の合格発表がおこなわれると、合格者の家に役所からの使者が持ってくる。『儒林外史』などの小説には、その場面が出てくる。ずいぶんお祝儀がはずまれたことだろう。

观中国、读中国、集中国

观中国、读中国、集中国

中国では何年か前から古書籍の拍売(オークション)がたびたび開催されるようになった。昨年出版された『中国古籍文献拍売図録』全4巻には、2001年と02年におこなわれた「大拍」と呼ばれる高級商品を扱う拍売に出品された品が、カラー図版入りで集めてあり、成立価格も書かれている。この図録を見ていくと、2001年の4月と11月に琉璃廠の中国書店でおこなわれた拍売には、いろいろな科挙資料が出品されている。

そのうちの、11月に出品された葉新滋という人の「捷報」が気になった。成立価格の記入がないから、売れなかったのだろうか。じつは、これと同じ物が、去年の11月号で紹介した、紙モノ図録の『故紙堆』にも掲載されている。両方の図版を並べてみよう。右が拍売図録で、左が故紙堆。

じつはこの2つは別物だ。まず、寸法が違う。測り方にもよるだろうが、拍売図録の方が大きくて、倍以上ある。この図版では見にくいが、印の位置も異なる。同文の合格通知が2通残っているというのは、どういうことなのだろうか。合格者は自分の捷報を複製して知り合いに配ったらしいから、どちらかが写しなのか。もちろん2つとも写しという可能性もある。

捷報の文面を見ると、この人は己酉の年に科挙に合格し、最終成績は「二甲第三名」である。科挙の合格者は、成績でいくつかの甲に分けられるが、その第二グループの三番目の合格者の意味だ(その次にある「覆試」は、合格者におこなわれる再試験)。そして、湖北省の県知事のポストが予定されている。ご存知の方も多いように、北京の孔子廟には、明代以降のほとんどの科挙の合格者名を刻した碑が並んでいて、人名索引も出版されている。それを検索しても、葉新滋の名前が出てこない(拍売図録では葉新としているが、この名前でもでてこない)。どうもよくわからない。

今回は写真がもう一枚ある。これは、今年の2月に潘家園で撮影したものだが、「捷報」を売っていた。巨大な真赤な紙に筆黒々と書かれていて、写真をよく見ると、庚戌、雲南といった文字が見える。さて、これは本物なのだろうか? 買う勇気は無かった。買わないにしても、もう少し丁寧に見てくればよかったと、帰ってから思っている。

さらに、この原稿を書いている最中に、中国のネットオークションに宣統2年(1910)の捷報が出ているのを見つけた。その5年前の光緒31年に科挙は廃止されている。不思議な物がいろいろあることだ。

科挙関係の紙モノは、「捷報」だけではない。試験の問題や同年合格者の名簿など、いろいろある。このごろでは、科挙関係の資料が琉璃廠や潘家園にけっこう出てくるようで、2003年1月15日付『北京日報』の「旧書市場探求竟」という記事には、科挙資料も流行りの収集アイテムの一つとして挙げられている。中国史の大先達である宮崎市定の名著に『科挙』がある。といっても、1963年に中公新書で刊行されてベストセラーになった『科挙−中国の試験地獄』(現在は中公文庫)ではなく、1946年に秋田屋書店という出版社から刊行。

森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。
中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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