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生まれる建物、消えていく建物

  9月10日から5日間北京へお邪魔してきた。出発前から、今回の旅行でぜひ見ておきたいと思っていた建物が2つあった。1つは現在建設中の永定門、もう1つは新華街の拡幅のために撤去の対象となって、かねて話題になっていた琉璃廠の邃雅斎。



  かつて前門大街をまっすぐ南に行ったところに、永定門があった。北京城外城の中央の門で、正門とでも言うべきものだったが、他の城門と同じように50年代に取り壊されたらしい。今回、北京市政府の北京の中軸線を強化する政策の1つとして再建されるという。すでに外部を覆っていたシートがはずされているので、二環を走っていて目にされた方も多いのではないだろうか。中国の城門には、甕城という張り出し部分と、箭楼がセットになっていることが多いが、今の北京には前門(正陽門)の箭楼しか残っていない。今回の永定門の復元も城楼だけのようだ。



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  現地へいってみると、門の外形はできあがっていたが、二環のロータリーの工事も一緒にやっていて、だだっ広い工事現場が広がっていた。完成した門に登れば、いい天気の日なら前門と向き合う形でおたがいに見えるはずだ。昔と違って高い建物が多いとはいえ、北京南部のランドマークになるだろう。さらに南の延長線上には、皇帝が天を祀った燕墩があって、これも整備中と新聞で読んだ。



  来年春には、故宮の午門が公開されるという。これで、北京城の中軸の南北約8キロの間に並ぶ10の楼閣、永定門、箭楼、正陽門、天安門、端門、午門、神武門、鼓楼、鍾楼、徳勝門が、どれも登れるようになる。それに景山の万春亭もある。ただし、前門や故宮のあちこちは現在整備中だが。



  午門以外はすでに制覇した私としては、来年になって、新建の永定門まで入れて完全踏破が完成するのが楽しみだ。月壇も転用されていたのが現在復元工事中と新聞記事にあった。全楼登上と、五壇達成(天壇、地壇、日壇、月壇、先農壇、あと社稷壇があるがこれは上に立てない)は、かねての私の願いだったが、あと一息。なにせ「**と煙は高い所に登りたがる」というではないか。



  もう1つの邃雅斎は、和平門から琉璃廠に向かって新華街を歩くと、琉璃廠の交差点の北、道の東側にずっと続く長い書店で、ご存知の方も多いだろう。昔、といっても70年代の末、琉璃廠には今のように何軒も本屋が営業しているわけではなかった。東街の入り口、今では邃雅斎となっている建物の南の端にあたる部分に書店があっただけだった。清朝風の街並みの再建とか、そんな話の出てくるそのまた前のことだ。東街は郵便局のところから奥へは行くことも許されなかった。



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  現地へ行ってみたら、道の拡幅のため8月30日から営業停止という公告が貼り出されていて、もぬけの殻だった。あと一歩で間に合わなかった。といっても、それより前に営業を止めていたらしい。私が琉璃廠で最初に出会った書店が消えていくことになる。建物の右半分、宣紙や文具を扱っている部分(その奥には古書)は、今のところは健在だったが、海王邨はいずれ書店ビルに変身するという話を聞いたことがある。とすれば、全部が消えてしまうのだろうか。告知には、営業再開についてはおって公告するとあるが、いつ、どのような形でのことだろう。



  ところで、8月号で護国寺の火事の話を書いたが、今回、元代の建物である金剛殿は無事であることを確認できた。このことは、いずれ書こうと思っている。



  生まれる建物があれば、消えていく建物がある。今回の旅行はそれを確認する旅になった。





森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。
現在、奈良大学史学科教授。
中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。


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