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| 東大寺の石獅子 |
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今回は北京とはまったく関係ない奈良のお話。 今年、2006年は、チンギス・カンの即位600年で、夏はモンゴル行きのフライトが取りにくかったそうだが、奈良では重源上人の800年忌にあたり、10月の14日から16日にかけて法要がおこなわれた。重源さんと言っても、読者のうち、さてどのくらいの方がご存知だろうか。高校の日本史の教科書には必ず出ている人なのだが。 奈良の大仏といえば、8世紀の天平時代に建造されたことは、誰でもご存知だろう。そして、源平合戦の南都焼き討ちで一度は燃え落ちたこともご存知ではないだろうか。鎌倉時代になって、その再建に一生をつくしたのが、この重源さんだった。 東大寺の再建事業がおこなわれたのは12世紀末から13世紀にかけての話だから、中国で言えば、南宋時代にあたる。重源さんは何度か南宋に渡っており、最新技術を中国から導入して、東大寺再建に活用した。たとえば、運慶快慶の金剛力士像で有名な東大寺南大門は、当時の江南の寺院建築の様式を導入して建造されたもので、その様式は、天竺様とか、大仏様とか呼ばれる。このあたりも教科書には必ず載っているお話だ。 さて、私がここで話題にしたいのは、その南大門の裏側に東西それぞれ立っている2匹の石のお獅子だ。金剛力士は有名だが、お獅子に目を留める人は多くない。このお獅子も、重源さんの大仏再建のとき、建久7年(1196)に作られたと伝えられるもので、重要文化財に指定されている。一目見ればわかるように、日本のお獅子とは違った雰囲気を持っている。 それもそのはずで、この石獅子を作ったのは、字六郎など4人の宋から渡ってきた石匠で、日本の石ではだめなので、中国から石を取り寄せて作ったと、昔の書物に書かれている。この字六郎だけではなく、この時代の南都には多くの石匠が宋国から渡ってきていたらしい。奈良やその周辺はそうした人々や、その子孫と思われる人々が作った石造物が今もたくさん残っている。 私が興味があるのは、上に書いた、このお獅子の石が中国から来たという話だ。石獅子の本体だけで、高さ180cmと160cm、台座も入れれば3mをこえるから、立派な石材だ。現代でも、あちこちの中華料理屋さんの前には、天安門や故宮にいそうなお獅子が鎮座しているし、中国から墓石を輸入してもいる。同じように12世紀にも南宋から石が運ばれてきていたのだ。 さて、問題は、この石が中国のどこから来たかだ。東大寺の再建に参加した南宋の石匠には、明州(寧波)から来た職人集団もいたそうだし、明州は江南における日本へのいちばんの窓口だから、じゅうぶんありうる。そういう説を唱える人はもちろんいる。また、もっと南、福建の泉州、こちらも大貿易港だった、だという説の人もいる。どちらの方も、現地で石を見て、これこそそうだとされる。 石については、国産説もある。重文に指定されているお獅子を削り取って分析するわけにもいかないだろうから、なかなか決着はつきにくいだろうが、日中の国交回復、そして中国の開放政策と時間が経過して、今ではこのような問題にまで、現地調査の成果がいかされる時代になっていることに、私はいささか感慨を感じている。 余談だが、たしか14世紀のことと記憶するが、曲阜の孔子廟の修築に日本の木材が江南経由で持ち込まれたという記録があることを、だいぶ以前に紹介したことがある。こちらの材木は今でも孔子廟のどこかの部分に残っているのだろうか。現在の建物は明代のものらしいので、おそらくは無理だろうが。 森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。 現在、奈良大学史学科教授。 中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |