![]() |
| 雍正王朝 |
|
この号が出るのはお正月の頃だろうから、大河ドラマ?長編時代劇の話題を。 夏に長年使っていたテレビが壊れた。しかたなくテレビを買い換えて、ハイビジョンが映るようになった。驚いたのは、ハイビジョンに中国、台湾のドラマが多いことだ。ドラマというものはあまり好きではないが、昼ごはんの時間に何の気なしに「雍正王朝」を見たら、病みつきになった。放送される火曜日の昼食前後は家にいることが多いので、毎週2時間付き合っている。 「項羽と劉邦」もあるし、「三国志」もあるのに、なぜ、「雍正王朝」だけが気になるのか。それにはわけがある。一言で言えば、登場人物になじみのある名前が多いのだ。康煕帝や雍正帝、それに弘暦(後の乾隆帝)はもとより、年羹堯、李衛、隆科多、田文鏡などなど、このドラマに登場する人物にはなじみの名前が多い。 宮崎市定に『雍正帝』という著書があり、名著とされる。それまであまりメジャーではなかった雍正帝が、この本で有名になった。私はというと、同じく宮崎さんが雍正時代の福建の地方政治を書いた、『鹿州公案』(平凡社東洋文庫)の方が好きだ。この本を読んで、ある駐在員は、「今の中国と同じ」と言ったという。 宮崎さんの雍正時代研究の背景には、『雍正石朱批諭旨』という文献の共同研究がある。「中国史上最も勤勉な皇帝」、「働きすぎで死んだ皇帝」と呼ばれる雍正帝は、地方官から密書の形で現地報告(奏摺)を提出させ、それに自ら意見を書き込んで(石朱批)、返送した。写真は、台湾の故宮博物院発行の『宮中木當雍正朝奏摺』から、雍正帝の書いた長文の石朱批と満洲文の石朱批。 後に、それを編集させて書物にしたのが、『雍正石朱批諭旨』だ。宮中には送り返されてきた皇帝の返書が山と積まれたという。辛亥革命の後、雍正時代だけではなく、大量の宮廷の木當案が、故紙として処分される直前に、その価値を再発見され、やがて海峡の両岸に保存されることとなった。 私が大学院生だった頃、まず台湾の故宮で、この文書(宮中木當)が公開されはじめた。はじめて宮中木當案なるものの実物をコピーで見せられたときのことは、よく覚えている。それから30年以上経った。今では量があまりに膨大すぎて、清代を研究する人たちは辟易しているように感じられる。 このような事情で、年羹堯をはじめとする雍正時代の人物の名前は昔からおなじみだったし、彼らの書いた上奏文も図版でいっぱい見ている。だから、その実物が目の前で動いているのは(もちろん俳優が演じているのだけど)、かなりの存在感がある。 ところで、私は、講談、ただし上方講談限定、についても、あちこちに書いているのだが、講談をお聞きになったことがあるだろうか? 講談は落語とどう違うか、ご存知だろうか? 答は、「固有名詞」。八つあん、熊さんといったどこにでもいる名前の人物が活躍するのが落語で、木下藤吉郎、真田幸村などの固有名詞が活躍するのが講談(ちなみに上方の講談では、徳川家康はいつでも悪役)。昔の人たちは、すでに名前を知っている歴史上の人物が活躍する物語を講談師が語るのを聞いて、楽しんでいたのだと思う。逆に、講談の登場人物に親近感のなくなった現代では、講談は楽しまれにくい。大河ドラマでも、登場人物が有名な人物でないと、なかなか入っていけない。固有名詞への親近感は大事だと思う。 というわけで、昔馴染みの名前がいっぱいでてくる中国の大河ドラマ「雍正王朝」は、私にとっては毎週欠かせないものになってしまった。DVDを日本で買うと3万円以上する。さてどうしたものかと思案中だ。 森田憲司 一九五〇年、大阪生まれ。 現在、奈良大学史学科教授。 中国近世の社会・文化を専攻する。趣味は、書物・地図をはじめとする中国にかかわるもろもろの収集。 |