私の北京生活も早2年になる。1つのCMがきっかけとなり、雑誌モデルや化粧品のイメージキャラクター、映画出演と、小さな出会いが少しずつ、大きな運命の出会いへと導いてくれた気がする。
初めて北京に降り立った日、耳に入る中国語はただの雑音にしか聞こえず、私の口から発せられる言葉はたった一言、ニーハオ。
一人で知り合いも全くなく、留学先の大学へ向かう途中、「英語すら全く通じない。こんな世界で本当に生きていけるのか。」半べそをかきながら、今から日本へ引き返せないかと本気でそう考えた。
“言葉は通じなくても心は通じる”その言葉を信じてやって来た。昔から私にとって中国とは、閉ざされた国であり、情報源も少ないからか、なぜか恐怖心さえ抱いていた。しかし、私は早速、北京に着いた初日に幸運に出会った。親切なタクシー運転手さんによって助けられた。そこから私の中国に対する見解が一気に開け、これからこの土地で何とか生きていけそうだ、という希望が生まれた。
元々私が中国に来たのは、中国映画を見たことがきっかけで、その力強さは中国人の文化そのものではないかと興味を抱くようになった。シンプルさ、ハングリー精神、人の温かさ、私の欲するものが、そこには全てあるような気がした。
あれから2年、周りには私を支えてくれる中国人がたくさんいる。自分が言葉を覚えた事も大きいとは思うが、結局は姿勢が大事だということに気づいた。「私は日本人で、少し違うところもあるかもしれないけれど、同じ人間であり、あなたたちをもっと知りたい」のだと。そこから中国の人々との関係が大きく変わっていった。たくさんの仲間に出会え、また多くの友人に助けられ、家族のような深い付き合いの中で、「私はこの人たちのおかげで今がある」と感じた瞬間が何度あったことだろう。
今までは日本人にあまり良い印象を持っていなかった人達に「日本人も中国人と変わらないんだね。」「忍に出会ってから、以前は行きたいとも思った事のない日本が、どんな所なのか行ってみたくなったよ。」彼らからそんな言葉を聞いた時、私という人間を通して、人の認識を変える事ができた、それだけでも中国に来た価値はあったと、涙が出る程嬉しかった。
しかし、それでも今まだ日中間の壁は厚い。最近、決まりかけていた映画がダメになった。理由は民族の関わる話だったため、日本人の私が関わることが許されず、映画局の許可が下りなかったということだ。私はもちろん日本人としての誇りは持っているが、自分が日本人だからとか中国人だからとか考えたことはない。だからこそ私は自分の活動する場所は自分で見つけたい。そう思い中国を選んだ。日本人の役でも中国人の役でも、目が見えなくても、耳が聞こえない役でもいい。私は人間を演じたいのだから。
人はどこの国の人という以前に、一人の人間である。一番大切なことは、一対一の対話だ。事実、私と出会った人々が少しずつ日本に対する認識を変えていってくれている。それを望みに日中関係が良い方向に前進していくこと。それが私の願いである。 |