My Opinion 心心相印
初めて日本で過ごす春節

日本で春節を過ごすのは、私にとって今回が初めてです。「春節と言っても、日本では普通の日だよ」と以前、春節に電話をくれた日本の友人の話を思い出しました。そのため、「祝日ムードは期待できないだろう」と自分に言い聞かせました。しかし、お祝いムードに包まれている空間は、日本にだってあることを初めて知りました。いくつもの時間と空間が並存していること、これはまた、日本の特色でもあるかもしれません。

今年の春節は1月29日。東京はぽかぽかと暖かい一日でした。友人たちの気遣いで、中華街で集まることになり、私はラジオのイヤホンを耳に入れ、元町への電車に乗りました。おりしも、耳に入ってきたのはこのニュースでした。
「今年の北京は13年ぶりに、爆竹や花火の打ち上げが解禁になりました…」なるほど。春節を祝わない日本人はこんなニュースを通して、春節のことを知るのですね。

当日、中華街の春節イベントは午後3時に開始。時間が迫るにつれ、一斉に各店舗から大通りに繰り出す人ごみ。その混雑ぶりと言ったら、上半身と下半身はそれぞれ異なる方向にねじったまま、自分の意思が働きません。中国にいた頃、春節はいつも家族や親族同士で過ごしていたので、こんな賑わいの中で過ごしたことがありません。押し合いへし合いの中、パレードは始まったようなのに、さっぱり見えません。欲求不満がたまった頃に、雰囲気を一変させたのは、獅子舞と龍の舞の行列でした。見物人の気持ちを見透かすように、彼らは龍と獅子を高く持ち上げて踊らせるので、はっきり見ることができます。

龍や獅子の踊りと共に、爆竹が揚げられました。大通りの上空に、うっすらと靄が立ちこもったと思うや、強烈な火薬の匂いが、風に乗って運ばれてきました…たまりません!
やはり中国人にとって、春節に欠かせないのは爆竹です。勢いよく響くその音もさりながら、何よりも火薬の匂いで春節を実感する人が多いはず。龍や獅子は私が子供の頃見たものよりはるかに豊かな色彩を泳がせていました。練り歩く時、彼らはときたま、道端の見物客に近寄って、いたずらっぽく振る舞い、その度に、歓声が沸き起こりました。私の前にも、知らぬ間に、紫っぽいピンク色の龍が勢い良く泳いできました。その立ち居振る舞いは実に若々しく、溌剌としています。咄嗟に、電撃のように自分の心に感動が走ったことに気付きました。文化には人間をまとめる巨大な力が潜んでいるという感動!

龍舞と獅子舞が終わり、日本人の友人は、「せっかくなので、関帝廟をお参りしたい」と言い、私も一緒に行くことにしました。人ごみもようやく徐々に散り、私もやっと落ち着いて回りを観察できました。思い出してみれば、道中、一番たくさん耳に入った言葉は、ほかでもなく日本語でした。中国語は時々聞こえましたし、父親の肩車に乗っている金髪の子供たちも見かけました。かくして、ここ中華街は、私をして、実に平和でオープンな場所であることを見せつけたのです。
関帝廟のすぐ隣に「横浜中華学校」という名高い学校があります。最近、日本人の親もわが子をここに送り込むそうで、中国人として、すなおに嬉しく感じます。

思い出してみれば、昔、英米仏などの植民地者の船に乗って、中国人たちは日本にたどりつき、異郷のこの地で集まり住むようになりました。その後、150年もの月日が流れ、大震災や戦争があり、数多くの喜怒哀楽がありました。今や、中華街は横浜の顔として、この地にすっかり定着しています。

この町に住んでいる華僑たち、特に若い人たちには、もう中国語が上手に話せない人や、外見では日本人とまったく見分けのつかない人が数多くいます。彼らにとって、実感としての故郷は、遠方にある先祖の本籍地というよりも、生まれ育ったここ中華街に違いないでしょう。しかし、それでも、祝日の度に、彼らは自分の来し方を復習するように、銅鑼や太鼓を鳴らして、伝統的なしきたりで過ごしています。

日本の中華街では、横浜中華街の規模が最も大きいそうです。また、世界各国のチャイナタウンと比べ、日本の中華街は地元社会から隔離された孤城でないところが特徴のようです。二つの注目すべき数字があります。
一つ、横浜中華街の中心地帯である「山下町」の住人6000の内、華僑などの中国系住民は約半分しか占めていない。
二つ、毎年、横浜中華街に来街する観光客は2000万人に達するが、この内の95%は中国系の観光客ではない。

一方、飲食業がメイン産業の中華街が成立できるそのわけは、中華料理が大好きな日本人客が多くいるからだとも言われています。中国人オーナーの店に、日本人が店員として働き、中国人は飲食業を経営し、日本人は仕入れを握る、これはこの町でよく見かける商売形態のようです。

華僑と地元日本人との弛まない交流から今の中華街が誕生し、外来と原住の双方の努力があったからこそ、今日の中華街が横浜の町に個性をもたらした存在となりました。中華街の歩みから、外来文化に対し、開放的で、包容的な態度で臨むという日本文化の特色を垣間見ることができます。

確かに、大部分の日本人にとって、この日は平凡な日曜日過ぎませんでした。しかし、同じくこの日の横浜中華街では、中国の伝統文化に引き付けられて集まった人々が、日本という空間で、カラフルなチャイナページを書き残しました。



王小燕 中国国際放送アナウンサー
王小燕
中国国際放送アナウンサー


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