親や祖父母の愛情を一心に受けて、何不自由のない生活を謳歌している一人っ子、いわゆる「小皇帝」。自己中心的であるがゆえに、その存在が深刻な社会問題として認識されるにつれ、「脱小皇帝」を目指すさまざまな教育が試みられてきた。その例として、わが校におけるボランティア活動を取上げてみよう。
視覚障害の学生を対象とするわが校が「盲学生の日本語学習を手助けする」という条件付きで健常者の入学を許可したのは、無私の心で他人に尽くすボランティア活動こそ、人の手を煩わすことしかしらぬ小皇帝たちにとって、もっとも有効な心理療法だと考えたからである。予想通り、彼らは日本語の学習にばかり熱心で、辞書引きや朗読など、課せられた任務の遂行には極めて消極的だった。また、盲学生たちとのコミュニケーションはどうかと言うと、言葉を交わす機会ならいくらでもあるはずなのだが、積極的に話かけるどころか、健常者同士が寄り集まって、「リトルワールド」を形成してしまう。さらに、「進学、就職、結婚などにおいて、視覚障害者がかなりの制約を強いられている。」という現状認識すら持ち合わせていないことから、「社会的弱者」の立場に立って、その痛みを分かち合うことができず、いかにも得意げな様子で、日系企業に就職が決まったことや、比較的条件のよいアルバイト先を見つけたことなど、配慮を欠いた事柄を話題にしたりする。こうした彼らの振舞いが、時をせずして、盲学生たちの痛烈な非難を浴びたことは言うまでもない。
そんな小皇帝たちの心の中で意識の新陳代謝が起こり始めるのは、わが校に入学して一年ほど過ぎたころからである。「街中で障害を持つ人々を見かけると、同じ人間として、声をかけずにはいられなくなるんです。」、「体の不自由な人がバスに乗り込んで来ても、どっかと座席に腰を下ろしたまま、微動だにしない若者たちがいますけど、ああいう人間を見ると無性に腹が立ってなりません。」小皇帝たちはそう口を揃える。障害者と健常者がともに学びあう中で、互いを「1人の人間」として受け入れ理解し、助け合い励まし合いながら、各人の能力と人格の向上を目指す。こうした貴重な体験によって、気の毒な人々を救える自己に陶酔したい偽善者の優越感は打ち砕かれ、代わりに惻隠の心が宿った。という。
「ボランティアこそ、もっとも善良な地球市民である。」国連のアナン事務総長は最大の賛辞を以って、ボランティア活動に携わる人々をそう評している。それは、弱者救済の為なら自己犠牲をも厭わず、自ら率先して社会貢献活動を行う利他的精神の持ち主だからであろう。
では、かれらにはなぜ、身を殺して仁をなすことができるのだろうか。孟子曰、「惻隠の心は仁の端なり」。ある対象に対して、同情や哀れみを寄せる心のあり方を学んでこそ始めて、他者を尊重し慈しむ心情が芽生えてくるのではなかろうか。
小皇帝たちが自己中心的で他人への思いやりに欠けるのは、その成長過程において、「惻隠の心」を培うような教育や社会活動の機会にほとんど恵まれていないからにほかならない。彼らを教育するうえで、私のささやかな試みが多少のよすがとなれば幸いである。
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