2009年3月に、中国・蘇州で公演されたばかりの坂東玉三郎主演・昆劇『牡丹亭』を、シネマ歌舞伎特別篇として日本で上映致します。昆劇『牡丹亭』は、歌舞伎俳優・坂東玉三郎が主演として中国に迎えられ、迫真の演技が中国で大きな感動を呼んだ話題の舞台です。
<配役>
PHOTO:Takashi Okamoto

杜麗娘(とれいじょう):坂東玉三郎
柳夢梅(りゅうむばい):兪玖林
春 香: 沈国芳
石道姑(尼)/睡夢神:呂福海
杜麗娘の母:朱恵英
明代の劇作家・湯顕祖(とうけんそ)(1550~1616)作の『牡丹亭』(正確には『牡丹亭還魂記』)は、全五十五幕からなる大作で、中国・江南の伝統演劇である昆劇の最高傑作とされています。
「さまざまな中国の伝統演劇を見てきましたが、その中でも昆劇の『牡丹亭』はすばらしいものだと感じました。その根本を知りたくて、蘇州に行って勉強したのです。(玉三郎)」
玉三郎と昆劇との出会いは、1986年4月、東京国立劇場での昆劇『牡丹亭』の日本初公演でした。玉三郎にとってこの舞台は忘れられないものとなりました。
「特に『離魂』の場面、主人公の杜麗娘(とれいじょう)が窓を開けて月を見る。雨がそぼ降り、雲がかかって『月も見えない・・』と、会えない恋人に対するはるかな思いを残して死んでいく。その雰囲気、表現には深い感動を覚えました。」
『牡丹亭』の美貌の少女“杜麗娘”を自ら演じてみたいという、この時芽生えた願いを持ち続けた玉三郎は、中国演劇界とのその後のさまざまな交流を経て、ついに2008年春その夢を実現させました。3月に京都・南座で、そして5月には中国・北京で行われた『牡丹亭』日中合同公演はいずれも大成功をおさめました。
この公演に向け玉三郎は徹底的な稽古を自らに課しました。言語圏が異なれば中国人であっても発音も聞き取りもむずかしいと言われる蘇州語のマスター、随所に登場する、やはり蘇州語の歌の数々、きめ細やかな表現が求められ細部にまで厳しい要求がある昆劇の演技と発声。それらを彼に指導したのは、20年前の東京で玉三郎に深い感動を与えたあの“杜麗娘”を演じた張継青女史(江蘇省昆劇院名誉院長)、そして蘇州昆劇院の俳優たちでした。江南の水の都・蘇州は、世界遺産を含む数々の名園を擁する風光明媚な古都で、昆劇の発祥の地である昆山も郊外に控えています。玉三郎は蘇州のことがいっぺんに好きになり、この聖地に幾度となく通う中で、その自然、人々、歴史、文化遺産などと深くかかわりつつ、昆劇を自らの肉体の一部として行ったのです。
「芸術表現の上で、ひとつの妥協も許さないという氏の要求の高さは、彼の伝統芸能に対する深い尊敬の念と真摯な姿勢に裏打ちされたものを感じさせた。(張氏)」
そして一年後の今年3月、ついに昆劇のふるさと蘇州での公演が実現しました。前年の京都と北京での公演は「遊園・驚夢・堆花」「写真」「離魂」の三幕での上演でしたが、今年はこれに新たに「叫画・幽媾」「回生」という『牡丹亭』の後半の二幕が加わり、より見応えのある舞台となっています。(前年は昆劇院の女形が演じた「遊園」などの場も、今年は玉三郎が演じています。)
この蘇州公演(2009年3月13日、14日 蘇州科学技術文化芸術センター)は、まさに日中の、いやアジアの文化的歴史的大事件となりました。昆劇のメッカである地元蘇州の観客たちも、中国全土からかけつけたその他の観客たちも、前年にも増して研鑽を重ね、見事な蘇州語のせりふと歌を駆使する玉三郎の迫真の演技に、酔いしれ、熱狂的な拍手を送ったのです。
中国の多くの人々にとって衝撃的だったのは、中国の伝統劇である昆劇が、日本の歌舞伎の立女形によって新しい命を得たと感じられたことです。中国人が、日本人である玉三郎によって昆劇を再発見したのです。「梅蘭芳(メイランファン)(20世紀前半の京劇の伝説的名優)が昆劇の舞台の上に蘇ったかのようだ。」「玉三郎は、日本だけではなく、もはやアジアの至宝だ。」
公演には中国のメディアが殺到し、翌朝の新聞、テレビはおびただしい数の賛辞で埋まりました。坂東玉三郎は、北京と蘇州の公演を経て中国でも一気に大スターとなったのです。
シネマ歌舞伎特別篇『牡丹亭』では、この伝説的公演の上映に先立ち、蘇州での玉三郎のすべてをカメラにおさめたドキュメンタリー『玉三郎 16Days in蘇州』を第一部として、第二部の舞台篇『牡丹亭』と併せて上映致します。
蘇州での稽古風景を中心に、玉三郎の日々を追った内容です。玉三郎の役作り、作品作りの世界にピッタリ密着出来る45分間です。
<昆劇について>
現在では、中国の伝統演劇と言えば京劇が有名ですが、19世紀後半に形を整えた京劇に対し、昆劇が生まれたのは今から600年ほど前の明代です。従って、歌舞伎よりも歴史は古く、ほぼ能の歴史に匹敵すると言えましょうか。北の京劇に対し南の昆劇とも言えますが、両者は随分と趣が異なり、京劇が力強く明快な色彩を持つのに対し、昆劇の舞台は、故・周恩来首相によって「馥郁たる香りの蘭の花」に譬えられたように、嫋(たお)やかで陶然としたかぐわしい空気に満ちています。
中国の江南地方の、蘇州に程近い昆山を発祥地とする古歌曲を昆曲といいますが、昆曲を何曲もちりばめた演劇が昆劇です。
昆劇のせりふは蘇州語で、発音が複雑で繊細です。旋律自体にあまり変化のない京劇に対し、昆劇は変化に富む多数の曲から構成されています。歌と、それを具現化する動きとが一体となった境地の美しさが、人々を魅了してやまない昆劇の真骨頂と言えるでしょう。
北方満州族の王朝である清の時代に、雅やかに過ぎた昆劇は新興の京劇にその王座をゆずり、その後は衰退の一途をたどり、文化大革命では大打撃を受けました。しかし、2001年にユネスコの世界無形文化遺産に指定され、特に昆劇の発祥の地である蘇州では、近年は海外公演も含めて活発な活動を展開しており、大学生の間に昆劇ブームも起こっているとのこと。確かに、3月の公演の直前、玉三郎は南京大学に招かれ学生たちに向け講演を行う機会を持ちましたが、学生たちの熱気はすさまじく、後半は質問攻めでした。(その模様も、第一部『玉三郎 16Days in蘇州』ではお楽しみいただけます。)講演会の数日後に開催された蘇州での『牡丹亭』公演には、南京の学生たちはバスを連ねて蘇州までやって来たのでした。
最後に歌舞伎と昆劇との関係ですが、玉三郎は3月の蘇州での記者会見で言っています。「昆劇と歌舞伎は技術的にはほとんど同じものはありません。この『牡丹亭』に、具体的に歌舞伎の技術を入れ込むことは、今はしません。」
<あらすじ>
PHOTO:Takashi Okamoto

南安太守の令嬢・杜麗娘(とれいじょう)は、春のうたたねの夢に柳夢梅(りゅうむばい)という若者と出会います。瞬く間に恋に落ちた二人は、十三人の花神たちの祝福の中で結ばれ、歓喜の時を過ごしますが、気がつけばそれらはすべて夢の中での出来事でした。
夢の中での恋が忘れられず、柳夢梅への思いは日増しに募り、その思いのあまり杜麗娘は病に罹り、はかなくこの世を去ります。
しかし、二人の愛はそれでは終わりませんでした。そのあと信じられない展開が…。
<プロフィール>
坂東玉三郎 (坂東玉三郎ホームページより)
1956年十四世守田勘弥の部屋子となる。翌年坂東喜の字を名乗り、「寺子屋」の小太郎で初舞台。以後、「椿説弓張月」の白縫姫、「桜姫東文章」の桜姫など大役を次々に演じ注目を集める。
1982年から3度のアメリカ公演をはじめ、パリ、ブラッセル、東ベルリン、ド レスデン、ウィーン、ロンドン、台北などで好評を博してきた。
舞踊家としての活動にも力を入れ、全国各地の劇場の他、熊本県の八千代座、愛知県の呉服座(いずれも国重文指定)、愛媛県の内子座など地方の古い劇場でも公演を行い、玉三郎の活動のなかでも重要な柱となっている。また「坂東玉三郎舞踊集」VHS全 10巻(26演目、約11時間)、DVD全6巻(25演目、約9時間)が完結。35mmフィルムによる本格的映像作品と してその成果は期待されている。
1988年にはヨーヨー・マらの演奏によるラヴェルの「ピアノ三重奏曲」で創作 舞踊を上演。その後マとはバッハの「無伴奏チェロ組曲」を映像収録した「希望への 苦闘」でも共同作業を行った。同作品はリヨンで行われた「ダンススクリーン96」 でグランプリを受賞した。
同年11月には、モーリス・ベジャールの振り付けにより、パトリック・デュポン、 ジョルジュ・ドンらと共演、以後もバレエとの交流が続き、1994年5月には東京にて、ベジャールとの共演で「リヤ王~コーデリヤの死」を初演。
歌舞伎への出演に並行し、新派、「ナスターシャ」(演出 アンジェイ・ワイダ)、 「エリザベス」(演出 ヌリア・エスペル)などの翻訳劇、「サド侯爵夫人」など現代劇の舞台にも成果をあげている。
1986年の「ロミオとジュリエット」以降演出も手がけ、「なよたけ」、「黒蜥蜴」、「海神別荘」などの作品で実力派の演出家としての評価を得ている。
1991年には、「外科室」を初監督。続いて「夢の女」がベルリン映画祭の正式 出品作品となっている。1995年には、監督・主演作品の「天守物語」が話題となる。俳優としても、ワイダ監督「ナスターシャ」(映画版)、ダニエル・シュミット 監督「書かれた顔」などにも出演、世界各国で上映された。
1997年は年頭より「壇浦兜軍記」の阿古屋、「籠釣瓶花街酔醒」の八ツ橋など 女方としての大役を次々とこなす。また夏には、木下順次の「夕鶴」で山本安英以来 2人目の主役・つうを演じ、同作品は、11年ぶりの上演となった。
2003年には和太鼓集団、鼓童の演出を2年間に渡り取り組み「鼓童ワン・アース・ツアースペシャル」として好評を博した。この模様はNHKハイビジョン放送により「鼓童meets玉三郎」として放送された。この後、鼓童とは2006年に「アマテラス」によりジョイントコンサートを開催。