神楽坂で玉美は未来をみつめる


石原 玉美 -Tamami Ishihara- (25) 新宿区神楽坂出身


玉美は今、7ヶ月の男の子の、子育て真っ最中だ。
初めての子供、きっと大変なことも多いのではないだろうか。
「“この子のために”っていう特別な意識は全然ないの。自然に起きてることのように感じるよ。母乳をあげて、世話をして、特別なことなんてほんとになんにもしてないよ」
そう笑う玉美から、とても満たされた毎日を過ごしていることが伝わってくる。


今回の街は玉美の住み慣れた街、新宿区神楽坂。
神楽坂は、新宿区と言ってもひと味違う。江戸情緒が今も残り、表通りの商店街や路地にある料亭街などが、住宅地と共存している。長く住んでいる江戸っ子気質の住民も多く、ご近所付き合いも残っている。
最近ではフランス人が多く住む地域としても有名だ。


玉美の実家は神楽坂にほど近い、入り組んだ路地にあるお寺だ。家の裏にはお墓があり、お参りに訪れる人も多い。
そんな環境の中、彼女は姉、妹、弟の3人のきょうだい達とのびのび育った。


 

2才半から22才までの20年間はバレエに明け暮れたという。国際的コンクールにも抜擢された経験のある玉美は、世界的なバレリーナになりたかった。
 「バレエを通して誰かを喜ばせたりとか、元気づけるために踊りたいと思ってた」
学生時代は放課後や休日も毎日練習、高校を卒業してからは1日でトウシューズを一足履きつぶしてしまう程、朝から晩まで踊り続ける毎日を過ごしていた。
 そんな玉美は20才になる頃、このままバレエを続けていくことに疑問を感じ始めた。
 バレエをやるにはなんといってもお金がかかるからだ。レッスン料やシューズ代だけではない。公演や発表会、それの割り当てられたチケット代。一日単位でお金がでてゆく。
 その上、自分で生活する分すら稼げない。それなのに「ダンサー」と言えるのだろうか。
 親は何も言わず応援してくれていたが、彼女はこう思った。
 「人の役に立ちたかったはずなのに、むしろ逆になってる」



同じ頃、バレエ団の先生の低い評価と、招かれてきていた英国の先生の高評価の違いなどにも疑問を感じていた。
 玉美は自分を見つめなおすために、バレエだけではなく、もっと別の世界もあるのではないかと思い始めた。20歳になるまでバレエのこと以外に何も知らなかったからだ。
 そのままバレエは続けながらもあるプロダクションにも所属した。歌や演技も学び、モデルの仕事もはじめた。そういう仕事をすることで少しは稼ぐことができたものの、思ったようにはいかなかった。どんな世界でも厳しさはともなうものだ。
 玉美はなにも知らないからこそ、なんでもやってみようと、あまり気が乗らない仕事もやり経験を増やした。
 だがやればやるほどに、だんだん自分が本当にやりたかったことから離れているような気がして、多くのことに疑心暗鬼になってしまった時もあったという。


それでも続けていれば出会いもある。
ある時、演技を学ぶ役者たちに出会った。彼らとの出会いは今も玉美の中に強く根付いている。
 「表現しようとしている人達との出会いは本当に嬉しかった」
 彼女はそこで、自分自身でいることの大切さを実感した。




23才になった玉美は付き合っていた彼と結婚した。「表現活動をすることと結婚は両立できる」と思ったからだ。そして約半年が過ぎた頃、妊娠をした。
 これまで自分のことだけを考え生きてきた彼女だったが、今は自分主体ではなく、赤ちゃんに合わせる毎日。無事生まれて気持ちがおおらかになった。
 「あるがまま、だよ。あせったり、追いつめたり、そういうこところに考えが行かなくなったよ」
 子供がコワい夢を見て泣いたときなどに「大丈夫、大丈夫」と子供をなだめながら、同時に、その言葉を自分にも言えくらい余裕がもてるようになったという。



必要な時に、必要なことをただ、やる。自然で穏やかな日々を送っていた玉美たち。
そんな時に突然おきた3月11日の東日本大震災。東京でも数分間に渡り、震度5の揺れが感じられた。
その時玉美は、神楽坂の実家で生後7ヶ月の息子と、生後9ヶ月の姉の子供の世話をしていた。幸い彼女の実家に被害はほとんどなく、家族もみんな無事だった。



その日を境に、多くの人と同じように玉美もTVやネットを通して地震や津波、原発に関するニュースや情報を確認している毎日だ。
 自分の身を守るだけではなく、子供も守らなければならない。玉美は今回のことをどう感じているのだろうか。
 「TVを見ててもね、やっぱり赤ちゃんを連れている人が目につくよ。“この子だけは守りたい”って言っていたママがいたけど、すごく気持ち分かる。だってこの子は未来の子だから。つなげていかなくてはって、すごく思う」
 もちろん自分の子供だからかわいいと思う気持ちもあるだろう。
 だが、実家がお寺で生と死がいつもそばにあったからか、玉美はどこか達観しているところがあるのかもしれない。
 ある時、玉美は知人のパパの言ったことばに共感した。
 「他人の子は自分の子 自分の子は他人の子として育てる」そんな考え方で、子育てをしたいと思っている、と話してくれた。


「良いも悪いもある。でも大切なのは今を積み上げていくことだと思う」
 毎日毎日顔が変わり、数時間単位でできなかったことができるようになっていく子供を目の前にすると、生きていることを感じると彼女は言った。
 かつては自分の生き方についてもがいていた玉美だが、守るべきものがある今、迷いはない。
 7ヶ月の赤ちゃんがみるみる成長するのと同じように、玉美もまた毎日毎日成長しているようだ。











このコーナーでは、1年間にわたり東京近郊に生きる若者を通して日本を紹介してきました。
東京にはいろんな街があるように、いろんな人がその街の片隅で精一杯生きています。
それは東京に限らず、日本中、中国や、世界中きっとどこでも同じ。
みんなみんな、精一杯。
嬉しい日も、下を向く日もあるけれど、今日よりも明日はもっといい日になる!
12人の彼らを通して、そんなことを強く実感しました。


つたない文章、発展途上のわたしの写真でしたが、これまで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。


それから12人の彼、彼女たち、どうもありがとう。これからも応援してるよ!


明日に向けて、今日を生きる全ての人に。
7.より





■ 7.-nana- blog

http://yuri7saki.exblog.jp





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